外務省との微妙な関係

結局、このときは、北朝鮮側の一方的な発表に対して、日本政府側が反応せず、16人ずつ2回の「里帰り」が実現しただけの結果に終わった。笹川陽平氏は、外務省の極めて冷淡な態度を振り返りながら、里帰り問題で勢いをつけていれば拉致問題にも好影響があったのではないか、との観測を披露する(*11)

ただし、当時、数多くの笹川一家の批判記事を『文芸春秋』誌に寄稿していたジャーナリストの加賀孝英氏などは、むしろ「日本人妻の合意で、拉致問題が棚上げされているのではと危惧の念を持っています」という拉致被害者家族の声を伝える批判的な記事を書いた(*12)

鄧小平、ゴルバチョフ、サッチャー、ハベルと、世界各国の首脳級と次々と個人的親交を持ち、時には重大課題に関する事実上の交渉まで行う笹川陽平氏の存在は、外務省と微妙な関係を持ちがちだ。北朝鮮問題は、それがすれ違いに終わった事例だったと言える。

最も太いミャンマーとの「パイプ」

これに対して、社会的地位もよりいっそう強固となった21世紀の笹川陽平氏と外務省は、ミャンマーに関して、蜜月と言ってよい関係を持ってきた。

日本外交はミャンマーに「パイプ」を持つ、と強調されてきた。「パイプ」の一つは、外務省も自信を持つミャンマー通の丸山市郎大使だが、クーデター以降、全く存在感を見せることができていない。

もう一つの「パイプ」は、元大臣としてミャンマー政府高官(特に国軍関係者)と関係を持ち、ODA受注大手企業を会員とする協会の会長として、主に日本国内で影響力を誇ってきた渡邉秀央・日本ミャンマー協会会長である。5月に渡邉会長がミン・アウン・フライン最高司令官と会談した後、日本人ジャーナリストの北角裕樹氏が解放された。その日、日本政府は国連機関を通じたヤンゴン近郊への食糧支援の実施を発表した。

しかし恐らく一番太い「パイプ」なのが、巨大民間財団の会長として巨額の資金を長期にわたって投入しながら、日本政府代表として調停にもあたる、笹川陽平会長である。笹川会長は、独自の政治交渉と援助資金を駆使して、ミャンマー政治への関わりを見せてきた。その関与のきっかけは、父・良一氏の時代から日本財団が取り組んできているハンセン病制圧のための活動であった。