〈現在の会社機構の中にあっては、情熱を燃やしてゆくというのではなくて、才能をすりへらしているといったほうがいい状態なのです〉
〈これではいい仕事ができるはずがありません〉
〈現在のような月一本半というペースは、とても人間の才能として消化しきれるものではないと考え、しかも実際はやってゆかねばならぬという矛盾した立場へ私を陥れ、精神的にも肉体的にも、大変苦しいわけです。〉
当時は映画会社と大半の俳優は専属契約を結んでおり、雷蔵も大映と専属契約を結んでいた。契約の詳細は不詳だが、年に10前後に出演することが互いに義務付けられていたと思われる。
雷蔵はその現状に、とても無理だと訴えているのだ。
さらに映画会社に異議を唱える
さらに大映の永田雅一社長と、松竹の城戸四郎社長とが話し合い、六社協定(映画会社6社が、各社専属の監督や俳優の引き抜きを禁止、また貸し出しの特例廃止を約束したもの)を一段と強化して、俳優と監督の交流(他社出演)を行なわないと発表したことについても、雷蔵は異議を唱える。
まず、永田が日頃言っている「一に企画、二に監督、三に俳優」というモットー、「企画第一主義」と矛盾すると指摘している。
永田が言うのは、まずいい企画を生み出し、次にそれにふさわしい監督を起用し、三番目にその役にふさわしい俳優を当てるべきだということだ。
スターである雷蔵自身はこの「企画第一主義」には賛成できないと考えている。
〈一つの立派な企画が生まれたとしても、それはスターなくしては浮草のようなものだ〉と言い切るのだ。
たとえば日活の石原裕次郎の映画は、裕次郎というスターがいて初めて成り立つもので、同じ内容・ストーリーの映画を大映で企画しても、裕次郎がいない大映では実現しない。その逆に、日活にはできないが大映にはできるものがある。
つまり、その会社ごとにスターがいて、そのスターに合った企画を考えないことには実現できないではないか、というのが雷蔵の主張だ。
大映・永田社長の企画第一主義の矛盾をつく
永田の企画第一主義は、その企画のその役にあった俳優を配役するという意味になる。大映で立ち上がった企画の主人公が、石原裕次郎が適役であれば、裕次郎に出てもらうのが、企画第一主義だ。
それなのに、永田は松竹をはじめ他の映画会社とともに、協定を結び、専属俳優や監督の他社の映画への出演を禁止している。俳優の他社出演を禁止しようとするのであれば、企画第一主義は成り立たない。永田は矛盾していると、雷蔵は指摘している。
雷蔵のエッセイは、新聞や雑誌に発表したものではなく、自分の後援会の会報誌に載せた文章なので、広く読まれるわけではない。
だが、関係者の目には触れるだろうから、かなり大胆だ。それだけの度胸が雷蔵にはあり、また当時の映画界は言論の自由があったということでもある。