イギリスのロックバンド・クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」。映画のタイトルにもなったこの曲にはいくつもの謎が隠されている。『「ボヘミアン・ラプソディ」の謎を解く』(光文社新書)を書いた菅原裕子さんは「歌い出しは『ママ』だが、イギリス人は母親をママとは呼ばないという指摘がある。そこからしてヘンな曲なのだ」という――。
クイーンのフレディ・マーキュリー
写真=AFP/時事通信フォト
1984年9月18日、ロックバンド「クイーン」のリードシンガー、フレディ・マーキュリー。パリのベルシ―・アリーナ(POPB)でのコンサート中に撮影

「1000年で最も重要な曲」に選ばれた「ボヘミアン・ラプソディ」

1999年、イギリスの音楽特別番組『ミュージック・オブ・ザ・ミレニアム』にて「過去1000年でイギリス人が選んだ最も重要な曲」が選ばれた。その第1位を獲得したのが「ボヘミアン・ラプソディ」である。ジョン・レノンの「イマジン」とビートルズの「ヘイ・ジュード」を抑えたというと、さらにそのすごさがわかるのではないだろうか。

オリジナルメンバーであるブライアン・メイ、ロジャー・テイラー、フレディ・マーキュリーが1970年に集まり、翌年、オーディションにてジョン・ディーコンが加入してクイーンが結成された。その後メンバーの入れ替えは一切なしという、ロックバンドとしては貴重なスタイルの始まりとなる。

73年にファーストアルバム『戦慄の王女』を発表。74年には2枚目のアルバム『クイーンⅡ』、立て続けに3枚目の『シアー・ハート・アタック』をリリースし、そこからのシングル「キラー・クイーン」がバンドとしての初ブレイクとなる。翌75年に4枚目のアルバム『オペラ座の夜』を発表、シングルカットされた「ボヘミアン・ラプソディ」が世界的な大ヒットとなる。

こうやって書くと順風満帆なようにも聞こえるが、デビュー当初はまったくの鳴かず飛ばず。批評家にも、商業的であるとか何かの二番煎じだとか酷評される時期が長く続いた。そもそも、Queenという名前自体がスラングで「ゲイ、おかま」という意味があり、最初から「イロモノ扱い」される要因はあった。バンド名はフレディの命名によるもので、彼の「女王」への愛着と、ものものしく、華やかでよいとの理由に基づいたものではあったが、他メンバーはあまり乗り気でなかったのもうなずける。金銭的にも長いこと受難が続き、「ボヘミアン・ラプソディ」がヒットした後もフレディとロジャーは以前からの生業である古着屋を続けざるを得なかった。最初に契約した制作会社がブラック企業のようなもので、契約条件が劣悪だったという。

「ボヘミアン・ラプソディ」はイギリスでは9週連続No.1という快挙を成し遂げる。もっとも、批評家たちにはあいかわらず受けが悪く、爆発的に増えた新しいファンが支えた大ヒットだった。