謎に満ちた「ボヘミアン・ラプソディ」の歌詞

曲を聴いたことはあっても、曲全体の歌詞を知っている人はそれほど多くないかもしれない。それでも、あまりにも有名なバラード・パートの冒頭、フレディが歌う“Mama……just killed a man……”(ママ、人を殺してしまった……)の一節を知らない人はいないだろう。

「ママが人を殺してしまった」歌だと思っている人もいるかもしれない(ここのみ聴いただけであればそれも十分に考えられる)が、続くフレディの心の叫びのような「語り」を通して吟味してみると、やはり主人公が人を殺してしまった歌のように解釈できる。

しかし、それがヘンである。なぜそんな重大なことを切なげに謳い上げているのか。なにより、物騒ではないか。本楽曲がすごくてヘンなのはこれまでに述べた「音楽的」要素が大きいからだが、それと同じくらい、この歌詞が理解を超え、謎に満ちているからである。

母親を「ママ」と呼びかける違和感

歌詞の解釈は多岐にわたり、とりわけインターネットでは「まとめをまとめた」ようなサイトも多く、実のところ収拾がつかない。

全体的な流れをまとめるとすると、これは殺人を起こした若者の物語であり、前半では、繰り返される「ママ」への呼びかけが象徴するように、罪悪感や自分の人生を自らだいなしにしてしまったことへの後悔、恐怖、絶望が告白される。

後半では、あたかも裁判が繰り広げられているような展開となり、宗教的、倫理的に彼を裁こうとする者と、彼を救済しようとする者が現れ、主人公は混乱のまま恩赦を求め逃げまどう。そして最後には諦念の域へと向かっていく。

人を誤って殺した若者が自分を救済するために悪魔に魂を売ろうとするパートを、ゲーテの『ファウスト』のモチーフになぞる学者もいる。あるいはカミュの小説『異邦人』の冒頭、有名な「今日、ママンが死んだ」という一節との比較も可能だろう。

また、“Mama”「ママ」という呼びかけがロックの歌詞としては異質であるとの指摘も見逃せない。母親を“Mama”「ママ」と呼ぶのは、イギリスではきわめて限られた上層階級のみであるからだ。後ろにストレスを置いて「ママ」maMaと発音する――と言うとわかりやすいだろうか? 「お母様」、あるいは日本語で子供が甘えて「ママー」と呼んでいるような感じ。

かなり時代錯誤な表現だし、フレディは良家の子息ではあるが、1970年代において彼が実際に母親を“Mama”「ママ」と呼んでいたとは到底考えられない。母ジャー氏の話からも、普段は“Mum”と呼んでいたようだ。

つまり、フィクションとしてかなり作り込んだ、技巧を凝らした上での言葉の選択と考えられるのだ。とすると、この主人公を単純にフレディ自身と見立てるのは安直かもしれない。

ちなみに、チャールズ皇太子が2012年のエリザベス女王即位60周年記念式典で、正式な場で使われる“Your Majesty”(陛下)と言った後に“Mummy”(お母さん)と呼びかけたことが大きな話題となった。知らされていなかったらしく、女王は一瞬目を丸くして驚きの表情を隠さなかったが、ほのぼのとしたよいシーンとして受け止められた。ハリー(ヘンリー)王子のアイデアだったそうだが、キャサリン妃人気の影響もあり、開かれた王室をアピールするよい機会ともなった。

クイーンエリザベス2世
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チャールズ皇太子が普段女王をどのように呼んでいるかは好奇心旺盛な市民の一つの「謎」のようだが、少なくとも公の場や談話では女王を“Mama”と言及している(ただし呼びかけではないようだ)。基本的には、王室のようなごく限られた上流階級が正式な場で使う語彙である。ただし文脈によっては特別な親愛の情を示したり、幼さを表したり、また、わざとおどけてきどった印象を意図して使われることもある。したがって「ボヘミアン・ラプソディ」がこの言葉を用いてなにかのパロディを目指したという読み方もできるだろう。

また、実際に人を殺してはおらず、二つの世界(現実と幻想)自体がすべて仮のものであるという読み方もできそうだ。オックスフォード大学の学者たちは、主人公の青年をフレディと重ねながらも、冒頭の箇所を「いやいや……殺してないから……」とも評している。

いずれにせよ、解釈はこの曲を読み解こうとする人の数だけあるといっても過言ではない。インターテクスチュアリティ(間テキスト性)豊かで、解釈を鑑賞する者に委ねる、オープンエンドの形式に則っていると考えればよいのではないか。