歌詞のインスピレーションはどこから得たのか
フレディの曲作りはメロディ先行で、次に曲の全体的な構成を組み立て、最後に歌詞を合わせていくことが多かったという。「ボヘミアン・ラプソディ」も例にもれない。
「歌詞は苦手」「僕の歌詞はファンタジー、作り物である」という発言もある。気の利いたフレーズがちりばめられていたり(「キラー・クイーン」などはまさにそうだろう)、叙事詩のようにスケールの大きな、豪華絢爛な世界を生き生きと描く歌詞も多く生み出しているのに、意外なことに、彼を熱心な読書家であったと語る人は見当たらない。インスピレーションの源は必ずしも読書ではなかったということか。
しかし一方で、「ボヘミアン・ラプソディ」がカミュの『異邦人』を彷彿とさせるという意見もわからないではないし、初期のアルバム数作ですでに円熟を極めているといってもいいような技巧的な歌詞が、まったく文学を好まない人物の作だととらえるのも難しいようにも思える。天才の創作活動の秘密をうかがい知るのは容易ではないが、確実に言えるのは、その土台に高い美意識と豊かな想像力があったことだろう。周知の通り、フレディは美しいもの――音楽、美術、ファッション、オペラ、バレエなど――をこよなく愛した。
1970年代半ばからバレエ好きであることを公言し、1979年にはロイヤル・バレエ団との共演を実現。フレディはダンサーでもあったのである。コンサートでバレエの衣装(あるいはそれに近いもの)を身に着けることもあった。
また、憧れのオペラ歌手であったモンセラート・カバリエとのアルバム制作(1988年)も果たしている。これも意外であるが、フレディはオペラに関してそれほど詳しいわけではなかったという。
ただ、バレエにしてもオペラにしても、自らの美意識に忠実でチャレンジ精神に富み、ジャンルの枠にとらわれることなく、軽々とその垣根を越え自分の世界を作り上げていく姿は、とても彼らしいことのように思える。そのクロスオーバーな様相の一端が、本楽曲にすでに如実に表れていたわけだ。
一曲の中に何曲分もの味わいがあり、歌われている物語はミステリアス。特殊効果を駆使した映像で皆の度肝を抜き、一夜にして本国のヒットチャートを駆け上り、世界へとその熱狂は広がった。そしてこの歌が未だ愛され続ける理由の一つは、この歌が謎に満ちているからではないだろうか。