「甲子園は女子野球ではかなわなかった夢の舞台」

試合は序盤にスクイズとタイムリーを決めてリードを奪った神戸弘陵が、最終回にエースの島野愛友利をマウンドに送って抑えきった。結果は4対0だったが、両チームとも持てる力を振り絞った。試合終了と同時に勝ったほうも負けたほうも涙だったが、すぐに笑顔に変わった。正々堂々のスポーツマンシップが爽やかさを浮きだたせた。

神戸弘陵の主将、小林芽生が優勝旗を手にする。彼女は春の選抜後、右膝靱帯を断裂して試合に出られなかった。しかし、練習ではノックを買って出たり、重圧から不調に陥った島野の球を受けて励ました。正捕手として甲子園に出たかったに違いないが、決勝戦でもベンチから大声を張り上げ、三塁コーチャーズボックスから体全体で走塁を指示した。

「甲子園は女子野球ではかなわなかった夢の舞台。決勝戦でそこに立てて本当に嬉しかった。その夢の扉を開けてくれた方々に感謝しています」

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この言葉は決勝戦を戦った両チームの選手はもちろん、参加した全40チームの選手も皆同じ気持ちだったろう。また、高校で野球を経験した女子ならばすべて同じ思いだったに違いない。なぜなら、女子の高校野球では、これまで甲子園は閉ざされた聖地だったからである。

女子野球の歴史と環境

全国高校女子硬式野球大会が始まったのは97年。よって今年は25回大会である。男子の103回大会には遠く及ばないが、女子野球の歴史は意外と古い。111年前の1910年に佐伯尋常小学校で女子の野球チームが初めて創立され、47年に横浜女子野球大会が開かれている。

48年には女子プロ野球チームが誕生、リーグ戦も行われたが消滅。ようやく86年に全国大学女子軟式野球連盟ができ、90年に全日本女子軟式野球連盟が発足、97年に全国高校女子硬式野球連盟が誕生した。その後の02年に日本女子野球連盟、09年に日本女子プロ野球機構が創られ、11年からプロとアマの強豪チームが参加して日本一を決める女子野球ジャパンカップが始まった。

この歴史を見ると、戦後の女子プロリーグが失敗して、女子の野球ブームが消えかかったが、21世紀に入ってからがぜん盛り上がってきているのがわかる。そしてその先駆けとなったのが、女子の高校野球である。

今年25回目を迎えた全国高校女子硬式野球選手権は、97年の第1回大会は参加わずか5校だった。しかし、その後徐々に増え、今年は参加40チーム。しかも前回の19年大会が参加32チームだったことからすれば急増中であり、今年、初めて甲子園で決勝戦が行われ、これがテレビでライブやダイジェストが放映されたことから、来年の参加校は大幅に増えるに違いない。