壁となった「スポーツの常識」
とはいえ、他のスポーツからすればまだまだ野球をする女子は少ない。それは中学に女子野球部がなく、さらに高校では皆無という県が多いからだ。これは戦前から野球は男子がするもの、女子はソフトボールと決まっていたこともある。昭和の時代は初期からそれが当たり前だった。それ故に伝統あるソフトボールは今も隆盛で今年の東京オリンピックでは金メダルを獲得している。
また、中学で女子野球部がないことから、団体スポーツ好きの女子は女子の部活で活発なバレーボールやバスケットボールをすることになる。近年では女子サッカー部の設立が盛んだし、最近は女子ラグビーも注目されている。しかし、いずれにしても団体スポーツでは男女混合で公式試合が行われることはない。
こうしたことは男子と一緒にプレーしては危険だという「スポーツの常識」が成り立っているからに他ならない。体力、筋力の違いから、男女が混合であっても闘い合うのはけがにつながるという「常識」である。特に学校は生徒のけがを怖れる。教員たちは男女別であってもけがが起きるサッカーやラグビーなどの顧問にはなりたがらない。それは女子野球であっても硬式なら同様だろう。
高校でも野球を続けたい……野球女子が直面する現実
こうした女子に厳しい日本のスポーツ環境の中で、女子野球をする女子高生はどういうスポーツ経歴を持っているのか。野球に情熱を傾ける女子のほとんどが小学生の時に野球を始めている。街の少年野球チームで野球に熱中する兄たちを見て自分もやってみたいと思った子がとても多い。
優勝した神戸弘陵のエース、島野愛友利は2人の兄の影響で小学2年から野球を始めた。チームは少年野球の大淀ボーイズ。中学生になったときは時速123キロのストレートを放り、男子を抜いてエースの座を奪った。全日本中学野球選手権大会(ジャイアンツカップ)で見事、優勝投手となっている。2人の兄は中学を卒業すると、高校野球の名門である大阪桐蔭と履正社に入り、甲子園出場を果たしている。
「でも女子の私は高校で男子野球部に入っても甲子園は目指せない。だったら女子野球部のある高校に入ろうと思いました」
高野連こと日本高校野球連盟は、女子選手の公式試合での参加を認めていない。大会参加資格を「男子生徒」と規定しているのだ。従って選手としてはベンチにも入れない。中学時代、男子より優っていた島野はやむなく女子野球部のある高校を選択する。高校は実家から遠く、寮生活を送ることになる。
前大会で準優勝だった履正社の花本穂乃佳も兄と一緒に小学生の時から野球を始めた。
「夏の甲子園大会を見て、スタンドの応援やブラスバンドの演奏などに魅せられました。でも女子は甲子園には出られないと聞いてすごいショックを受けました。自分の野球人生で立つことはないのかなと」
しかし、女子野球部に入っても甲子園でのプレーはできなかった。女子には門戸が閉ざされていたからだ。