モデルにした妹との禁断の関係

シーレ20歳の作品『右腕を伸ばして座っている裸像』(1910)。個人蔵(写真=CC-PD-Old-100/Wikimedia Commons

ともあれナルシシストの耽美たんび主義者シーレは、絵ばかり描いていた。ヌードモデルとして描いたのは、4歳年下の妹ゲルトルーデ。近親相姦そうかんの関係だったとも言われている。

17歳の頃、ウィーンにアトリエを構え、すでに大スターだった画家グスタフ・クリムトとも初めて出会う。そして、クリムトに紹介され、建築や家具などのデザインを請け負う「ウィーン工房」の仕事をするなど早熟な才能を開花させた。18歳になる年には、修道院での展覧会に初出品した。

クリムトとの出会いはシーレにとって、もうひとつ大きな転機をもたらす。それは、21歳の時クリムトから紹介された17歳のモデル、ヴァリー・ノイツィルとの恋だった。すぐに意気投合したふたりは同棲を始める。ウィーンを離れ、母の故郷であるボヘミアの小さな町クルマウに引っ越し、ミューズとなった美少女ヴァリーとともに創作に打ち込んだのだった。

少女誘拐容疑で24日間の獄中生活

しかし、ここで問題が発生した。シーレはヴァリーと同棲しながらも、たくさんの若い少女たちをナンパし、アトリエに連れ込み裸体を描いていたのだ。そして、10代前半の少女を誘拐した容疑で逮捕され、24日間の獄中生活を送った。裁判官により、公衆の面前で絵を燃やされたものの、特別に画材が与えられ牢屋ろうやの中でも描き続けた。彼が獄中で書いた絵の一枚には、「自分が純化されたような気がする」という言葉が記されている。ここにシーレの考え方がはっきり示されている。

彼は、タブーとされた性の表現を強調すればするほど、純粋な精神に近づくと考えた。より純度の高い自分自身を描くことに挑戦したのだろう。反社会的にも思える創作の中にこそ、新しい時代の可能性があると信じていたのだ。シーレが描く過激でスピード感のある線は、鮮烈なエネルギーを強く感じさせる。音楽で言うと、激しいパンクや音のひずみが心地いいノイズ系のロックという感じだ。