100点以上も自画像を描いたナルシスト

シーレが12歳の頃、父アドルフが梅毒による進行性麻痺まひによって駅長を退職。性に奔放だったため、性病にかかっていたのだ。

鬱状態で奇行を繰り返すアドルフを抱えた一家は、ひっそり暮らした。幼い頃から勉強が苦手だったシーレだが、翌年の両親の結婚記念日には愛情のこもった自作の詩を贈っている。

ナカムラクニオ『こじらせ美術館』(ホーム社)

しかし、14歳の時、父は亡くなった。目鼻立ちの整った美男子で、繊細な年頃のシーレ少年は、裕福な母方の叔父レオポルトに引き取られ、ウィーンの立派なお屋敷で暮らすことになった。この頃から何かにとりかれたようにシーレは絵を描くようになるのだ。

父の死を弔うように、自画像を中心とした大量の絵を描きはじめた。美男子のシーレ少年が描くのは、枯れ木のような肉体とねじれた手足。ざらざらと乾いた暗い色調の絵肌にひっかくような線で、孤独や不安を描いた。その多くは、自己愛に溢れた自画像だった。ゴッホですら40点ほどしかない自画像。彼は、自分の姿をひたすら観察し続け、100点以上も繰り返し分身を生み出した。

シーレは16歳でウィーン美術アカデミーに入学する。のちの独裁者アドルフ・ヒトラーもこの翌年と翌々年に同じ学校の入学試験を受け、二度とも失敗していることは有名な話だ。もしヒトラーに画家の才能があったら、彼らは友だちになっていたかもしれない。そして、世界の歴史も変わっていただろう。