1964年11月には就任したばかりの佐藤栄作首相が新宿駅を訪問し、朝のラッシュを視察した。佐藤が元鉄道官僚であったことを差し引いたとしても、新宿駅の混雑は国家レベルの大問題となっていたのである。この後、1960年代後半から1970年代にかけて国鉄は通勤路線の輸送力増強に4000億円以上を投じ、混雑は改善傾向に向かった。

次の変化は駅の面的な拡大であった。1975年にメトロプロムナードと西武新宿駅につながる「新宿サブナード」が接続され、新宿駅と西武新宿駅が地下道で直結された。1978年に甲州街道の地下を通る京王新線が開業すると、1980年に都営地下鉄との直通運転を開始する。

埼京線、新南口の開設で構内はより複雑に

両線が発着する新線新宿駅は1976年に京王が開設した地下街「京王モール」を介して新宿駅西口地下と連絡したことで、新線新宿駅と西武新宿駅は約1.3kmもの地下道で結ばれる「乗換駅」となった。なお、厳密には連絡運輸が行われる乗換駅ではなく、単に乗り換られる駅である。両線を地下で乗り継ぐのであれば15分以上かかるので、地上を歩いたほうが早い。

1980年代に入ると新宿駅は「南進」を始める。1984年に開業以来続いた貨物の取り扱いが終了。貨物列車が走っていた(厳密には現在も一部運転している)線路を転用して開業したのが、1986年に新宿駅まで延伸した埼京線である。

新宿駅を通る国鉄の路線は1889年以来、基本的には中央線と山手線しかなかったので、約100年ぶりの新線開業ということになる。しかし、埼京線ホームは用地の関係から中央線、山手線ホームよりも南寄りに位置したため、他の路線とは異なり北通路には階段が設置されなかった。

その後、1991年の埼京線ホーム増設に合わせて、甲州街道を挟んで南口と反対側に新南口が新設され、新宿駅は渋谷区に「進出」する。新宿駅ホーム南端と北端は直線距離で600m以上におよぶ一方で、5番、6番線ホームの南端と隣の代々木駅のホーム北端はわずか100mしか離れていない。

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乗り換え口は見当たらず、仮囲いで道に迷う…

2006年には、それまで新南口とつながっていなかった山手線、中央線ホームとも接続されるなど、JR新宿駅の重心がどんどん南に寄ってきている。一方で、新南口は他の私鉄・地下鉄と接続していないため、何となく階段を上ったら乗り換え口がなかったという人もいるかもしれない。

もうひとつ新宿駅を複雑化させたのが、1999年から2012年にかけて行われた新宿駅をまたぐ甲州街道の橋梁架け替え工事である。工事に合わせてJR各線の配線変更とホームの新設、移設が行われ、その後に行われた駅構内の拡幅工事を含めれば、ここ20年ずっと何かしらの工事が行われていたことになる。