朝鮮人捕縛に向けて郷土の陸軍部隊が出動
この二つの記事に共通するのは「第二師団に出動命令が下った」ことを伝えていることだ。ほかの師団は宇都宮(第一四師団)、高田(第一三師団)と地名が示されているが、なぜ第二師団は地名の師団名ではなかったのか。
理由は明白だ。第二師団は仙台に司令部を置いた部隊だったからだ。第二師団を知らない河北新報の読者がいたとは思えない。師団長は親任官相当職であり、勅任官の県知事よりも席次の高い役職だった。
日本陸軍の部隊は地域で集めた兵により編制されていた。師団は通常四個の歩兵連隊を抱えていたが、記事に登場する第二九連隊は仙台に駐屯した歩兵の部隊であり、宮城県出身の兵で編制されていた。その郷土部隊が出動することを、この河北新報の記事は報じているのだ。
4日の夕刊は一面に「第二師団の二個連隊/本日午後仙台駅出発」という記事を載せている。
「東京市及びその付近の震災救援のため三日午後八時、大湊要港部司令官を経て第二師団司令部に対し、有力なる通信班を有する工兵隊並びに衛生隊の出動命令あり。師団司令部にては、最も機敏迅速に直ちに在仙各隊及び若松、山形各隊に命令して四百名の衛生兵を臨時編成し、医官十四名これを引率し、一方工兵第二大隊三百名は佐藤大佐これを指揮して四日午前五時三十分、東京市外田端へ向け出発」と伝えている。
ニュースの重要性を強調するための記事の仕立て方
それとは別に仙台の歩兵連隊に出動命令のあったことも報じている。3日の夕刊には「第二師団の出動は未だ決定していない」という記事もあり、第二師団の動向には地元で大きな関心が集まっていたことを物語っている。
5日の朝刊には「動員下令の第二師団」という写真も載っている。仙台駅前の広場で銃を手に整列した姿で、「不鮮人跋扈の東京へ出発」との説明がついている。
歩兵の一個連隊は約2000人であり、その規模の部隊が武装して混乱を極め、朝鮮人の集団と戦争状態とも伝わる東京方面へと出動するというのだから、河北新報にとっても、その読者にとっても、これ以上はない関心を集めるニュースだった。読者の中には家族や知り合いに兵士のいる家庭もあっただろう。
このニュースの行間には、そうした事情が、記者と読者の間の暗黙の了解が詰まっているのだ。
河北新報にとって第一級のニュースである。「出動命令が下った」というだけではとても記事として成立しない。なぜ出動するのか、それがいかに重要で危険な任務であるかを説明する必要があった。当然、第二師団で取材もしただろう。それに加えて手元にあった東京方面の最新の情報を加え、この記事は生まれたはずだ。
もし私が取材のデスクであったなら、そのようにして記事を仕立てることを記者に指示したことだろう。