1923年9月1日の関東大震災では、「朝鮮人が放火や略奪を犯した」というデマが流れ、各地で自警団による朝鮮人虐殺が起きた。ジャーナリストの渡辺延志さんは「当時の新聞各紙は『朝鮮人暴動』の流言を大々的に報道していた。だが、その取材手法は現代の記者でも同じだ」という――。

※本稿は、渡辺延志『関東大震災「虐殺否定」の真相』(ちくま新書)の一部を再編集したものです。

1923年9月、関東大震災でがれきと化した町を歩く被災者ら(東京)
写真=Roger-Viollet/時事通信フォト
1923年9月、関東大震災でがれきと化した町を歩く被災者ら(東京)

取材の大きな比重を占めたのは東京からの避難民

『東京大学新聞研究所紀要』で発表された「関東大震災下の『朝鮮人』報道と論調」という論文によると、東京や大阪、朝鮮などの新聞20紙のうち、関東大震災での朝鮮人を巡る記事が最も多かったのは仙台に本社を置く河北新報で、全体の11.3%に上った。

河北新報においては、「朝鮮人による暴行」流言が全国平均を大きく上回る量で報道され、他方、「朝鮮人に対する暴行」については、あまり報道されないか、あるいは「取締り」というボカされた表現で報じられているにすぎない。

河北新報は震災のニュースを全国に先駆けて入手し、迅速な報道によって、東北地方の人びとに震災の速報を次々と伝えたが、それと同時に「朝鮮人暴動」流言もまた、同紙の報道を通じて東北地方に広く伝播することになったのである――と論文は指摘している。

震災直後の混乱期に河北新報の報道の中で大きな比重を占めたのは東京からの避難民の談話であり、「これらの談話の内容は、とくに朝鮮人による暴行に関しては事実を著しく歪め、あるいは誇張した流言に満ちていた」とも研究は指摘している。

体験者や目撃者の証言取材は記者の基本動作

だが、新聞記者としてその場に自分がいたならと考えると、やはり同じ様な記事を書いただろうと思えてならない。聞いた話の内容が本当に事実なのかを確認する手段はない。

だが、語っている人たちに嘘をつく理由が考えられない。数多くの人に話を聞けば聞くほど、内容は似通っている。全国どこの新聞であっても、一本でも多くの記事を載せたいという段階だった。

そもそも事故や災害の現場で、体験者や目撃者を探して証言を集めるという取材は今日でも珍しいものではない。記者の基本動作ともいえる。

例えば、2020年、新型コロナウイルスによる大規模な感染が確認された中国の武漢から日本人を帰国させるために日本政府はチャーター便を運航した。到着する空港には多くの報道陣が待ち構えていた。そこで帰国者が語った言葉は、そのまま報じられたはずであり、日本国内から見ていただけでは想像できない切実な話であればあるほどニュース価値は高かったはずだ。

河北新報が群を抜いて多くの記事を掲載したことには理由があったように思えてならない。熱心に報道をしたのは確かだろうが、それと加えて被災者から話を聞くことのできる条件がそろっていたのだ。