原発部署で感じた「言葉」がもたらす影響の大きさ

そんななか、福山のインタビューで私が大切な考え方だと思ったのは、彼が「高線量瓦礫廃棄物」という部署名の表現に強いこだわりをもっていることだった。

鹿島建設は東電との間に「高線量廃棄物処理運搬業務委託」の契約を結んでいるのだが、この名称が使用され始めたのは2017年からのことだ。それまでは「瓦礫運搬」や「瓦礫収集運搬」という呼び名だった。「高線量廃棄物」という言葉が使用されることになった背景には、福山からの強い意向があったという。

彼がそれを強く提案したのは、この仕事を「高線量廃棄物処理」と呼ぶ現実的な意義を仕事の中で感じてきたからだった。

「イチエフの現場で働いていると、人間が慣れによってリスクを感じなくなっていく生き物であることを実感する」

と、福山は言う。

現場の管理者として作業員にはことあるごとに注意喚起してきた。それでも目に見えない放射線への意識はどうしても低くなりがちだった。

例えば、彼らは30ミリSv/hまでの瓦礫を「低線量瓦礫運搬」、それを超えるものを「高線量瓦礫運搬」としばらく呼んでいた。すると、作業を続けているうちに作業員の間で「今日は低線量だから大丈夫だな」という会話が日常的にみられるようになった。彼らの仕事を管理する側までが「ああ、今日は低線量だから心配ありません」と気軽に言い出すようになる始末だ。

その様子を間近で見ながら、瓦礫運搬のリーダーである福山は強い危機感を抱いた。「言葉」というものがもたらす影響の大きさを、まざまざと実感したからである。

イチエフの外に出れば「毎時五ミリシーベルト」は人が暮らすことのできない「高線量」であり、それを「低線量」と呼称して違和感を抱かない状況が、いつか大きな被曝事故へと繋がるのではないか。現場と社会の常識との間に、大きなズレがあるのも問題だ。それは原発関連の部署で初めて働くことになった福山の、しごく真っ当な感覚だったといえるだろう。

建屋を前に崩れ去ったエンジニアとしての自負

「そもそも──」と彼は話す。

「初めてイチエフにきたとき、私は放射能をすごく恐れていました。初日に壊れた3号機の前に立ったときは、手元の線量計がピーピーと音を立てているなかで、まさに頭が真っ白になった。私にも15年間のキャリアがありますから、本来はどんな現場に立っても、取り得る選択肢や工事の手法がある程度は頭に浮かぶものなんです。ところが、3号機前のあの壮絶な光景──津波で流されてきた車が瓦礫に刺さり、まだオペフロからは湯気が立っていたと思います──を前にしたときは、『何をどうすりゃいいんだ』と立ち尽くすばかりだったんです」

福山はしばらく茫然としているうちに、全面マスクを被ったまま泣いていた。その感情は後から振り返るとき、「敗北感」と呼ぶのが最も相応しいものだったという。都市の公共土木工事を15年間にわたって経験し、難工事とされていた現場も乗り越えてきた。そのなかでエンジニアとしてのプライドを培いもした。だが、彼は自分がそうして積み上げてきた何かが、3号機建屋の前の光景によって否定されたような気持ちがした。

「私は原子力のことはよく知らなかったけれど、事故前はこの国の最高峰の技術だと言われていたわけです。その結果があの凄まじい建屋の姿だったと思うと……ね。自分はエンジニアとして、高速道路や治水施設を作ってきました。公共事業は世間からいろいろ言われますが、少しは社会のプラスになっていると信じているからこそ、胸を張って仕事をしてきたわけです。街の発展に寄与しているんだ、この国のエンジニアリングは最高で、その中で俺は頑張っているんだ、って。その自負が崩れ去ったんですね。なんだこれは、と。いままで俺は何をやってきたんだろう、と」