「俺たちの仕事は日の目を見ない仕事」
イチエフ内での高線量瓦礫の運搬は当時、そのシステムが作り上げられて間もない状態だった。彼は前任者の仕事を引き継いだものの、実際にどう瓦礫を運搬するかは手探りの状態が未だ続いていた。そんななか、着任早々に数百ミリSv/hの瓦礫が出て「頭が真っ白になる」ような瞬間もあった。
イチエフの建屋周辺から出る高線量瓦礫の運搬作業を専門とする彼の部署は、4号機や3号機にカバーを設置する工事が続けられる中で、その瓦礫を安全な場所(構内の地下貯蔵庫)まで運ぶために作られたものだ。
カバリング工事のほかにも、様々な撤去作業が進むと自ずと放射性廃棄物が出るため、次第に一定の放射線量を超える廃棄物については全て彼らが引き受けるようになった。
「いわばイチエフのごみ収集屋さんといったところですね」
福山はこのように語ったが、現実は「ごみ収集屋さん」という言葉のニュアンスとは裏腹に、彼自身が「頭が真っ白になる」ことの連続だった。瓦礫と言っても、彼らが扱うのは防護服を着た人が近づくのも容易ではない瓦礫だからである。
福山の瓦礫運搬チームが担当するのは1ミリSv/hを超えるゴミで、3号機の近くに用意された保管場所は「毎時5ミリまで」「毎時30ミリまで」など放射線量のレベルによって区分けされている。さらに金属やコンクリートといった東電の決めた廃棄物の分別にも従う必要がある。
例えば3号機の瓦礫撤去では、放射線を遮蔽するコンテナから50センチ離れた場所で、センサーが600ミリSv/hという数値を記録したことがあった。中身の線量は1000ミリSv/hは軽く超えていると推定され、瓦礫運搬チームではそれを金属の容器に入れて無人で運搬した。
「なるべく可能であれば、当然、有人でやった方が確実なんです。無人だと有人での作業の三倍から五倍の手間がかかります。大きなラジコンでUFOキャッチャーをやっているようなものですからね。ただ、放射線の遮蔽には限界があるので、キャビンの中の線量にはもちろん上限を設けています。それで、これは歯が立たないなと思ったら、無人に切り替える。3号機の瓦礫撤去の最盛期はまさにそのような状況でした」
瓦礫運搬の作業が夜に行なわれるのもそのためだ。彼らはまだ明るい15時頃から構内を巡回し、18時に現場に誰もいなくなったことを確認してから、周囲を完全に封鎖して仕事を開始する。だが、凍土壁を作る工事が佳境を迎えていた際は夜まで構内での他の作業が続いていたため、運搬の開始が23時頃からになる時期もあった。夏場などは深夜3時~4時には翌日の工事が再開されるため、深夜2時過ぎまで懸命に運搬作業を続けた期間は「かなりきつかった」と福山は言う。
彼らの立場としては再三にわたって早い時間での仕事開始を求めてきたが、どうしても日中の工事が優先されざるを得ない。
「だから、我々はよくこう言っていたものです。『俺たちの仕事は日の目を見ない仕事。夜、人目をはばかるように人知れずやって、朝には何事もなかったようにいなくなる』と」