「ここには線量が高いかめちゃくちゃ高い瓦礫しかない」
だが、そのように感じた福山自身が、イチエフの現場で1年、2年と過ごすうちに、あらゆることに慣れていった。
放射線は見えないから怖かったが、次第に見えないからこそ怖くなくなった。建屋の前で恐怖心を抱き、涙さえ流した自分があるとき、何の感情も持たずに平気で同じ場所に立っていた。
そんな彼が東電への名称変更の申し入れをしたのは、東京での会議に参加したある日の上司とのやり取りがきっかけだった。彼がいつものように毎時30ミリSv未満の瓦礫を「低線量」と呼ぶと、上司にこう指摘されたのである。
「なあ、福山君。30ミリは低線量じゃないよ」
福山がはっとして黙っていると、相手はこう続けたという。
「おまえ、なんか感覚がおかしくなってないか?」
それは原子力という分野で働く人々の常識が、ときに社会の非常識になり得ることを端的に表した瞬間だった。福山もまた、イチエフで働くことでエンジニアとしての何かが麻痺し始めていたのだ。
「低線量という言い方やこの瓦礫収集運搬という呼び方をやめてもらえませんか? ここにあるのは高いか、めちゃくちゃ高いか、の二通りなのですから」
と、彼が東電の担当者に提案したのは、それからすぐのことだった。
「確かに3号機と4号機の瓦礫処理が落ち着いて、驚くような線量の瓦礫を運ぶ仕事はなくなりました。ただ、線量の低いものが増えていくと、誰もが安易に空のコンテナに近づくようになってしまうんですね。しかし、1号機や2号機での作業が始まれば、また同じような瓦礫が出てくるわけです。そのときに何となく鈍った感覚で、『100ミリだから大丈夫』なんて思っていたり、とんでもないものが入っているコンテナを空だと思いこんだりしていたら、いずれ大きな事故が起こるだろう、と。だから、高線量という言い方は外部へのアピールであると同時に、働いている人間の危機意識を喚起する工夫のようなものなんです」
「我々は一発アウトの仕事をしている」
東京電力は「普通の現場」という表現を好む。新事務本館や構内の除染を進めてきた結果、全面マスクや防護服を必要としないエリアが広がり、作業者たちは「普通の現場」のように仕事をできるようになってきた──と彼らは広報し続けてきた。事故の影響をなるべく小さく見せたい東電側の意識が、「普通の現場」という表現を強調する背後にはあるだろう。
しかし、それは現場のある側面に光を当てた一つの事実ではあっても、実際に最前線で作業をこなす人々にとっては違う。この現場が「普通」などと呼ばれることに、違和感や暗黙の抵抗を覚える人も多いということを福山の言葉は示している。私はその感覚こそが真っ当なものだと思う。
「我々は一発アウトの仕事をしているんです」
と、彼は言った。
「『普通の現場』と同じように働けるようになるのは、もちろん大事です。でも、だからといってここを『普通の現場』と思ってはいけない。チームのメンバーにはいつもそう言っています。あえて厳しい言葉を使って、常に危機意識を高く保つことが、この場所で働く管理者の責任だという思いがあるからです」
福山のチームが瓦礫運搬を行なう深夜、空気の澄んだ日には驚くほど多くの星が空には見えるという。その星空をふと見上げるとき、彼は静寂の中で「ああ、きれいだな」と思うことがある。
だが、その瞬間に胸に生じるのは、「この場所でそんなふうに『きれいだ』と思ってもいいのだろうか」という気持ちだ、と彼は語った。その逡巡はイチエフという現場で働くことへの彼の複雑な感情を、端的に表す言葉であるに違いなかった。