話すことで孤立が解消される
「これは、お互いの話を聞いている内に徐々に分かってきます。自分で自問自答するだけでは気づけなかったことなのです。なぜなら、人に言ったこともなく、感じたこともない、いわゆる内面のモヤモヤしていたものを他の人が代弁してくれるからです。そこで、共感が生まれるのです。
だから、自分も徐々に内面の話ができるようになります。このプログラムでは、言いっぱなし、聞きっぱなしですし、誰からも笑われず、軽蔑もされません。同じ悩みを抱えている仲間と、生きづらさの原因を共有できる場となります。そして、そうした経験は、安心感につながります。
専門的に言うと、プログラムは、類似した経験の共有や、お互いの現状の認識を通して、「自分が必要とされている」という高い自己評価を養うことを助けます。仲間から薬物乱用の解決策を学ぶ機会を得ると同時に、その経験をリアルに共有できるのです。
何より「その気持ち、分かるわ」という感じですか。一般社会ではオカシイと言われてきたことが、「何だ、おれだけではなかったんだ」と気づきます。この気づきが、社会的な孤立の解消になるのだと思います」
同じ苦しみを味わった当事者だから説得力がある
筆者は、覚醒剤等の薬物の乱用レベルに達した人は再犯率が高く、なかなか更生できないと考えている。薬物中毒者に尋ねると、薬物のことを想起する度に「脳からヨダレが出る感じがする」という表現を聞いたことがある。実際、更生保護の世界で就労支援をしていても、薬物の再犯者はとても多い。
彼らの過去が記された「調査票(生い立ちや犯罪歴など)」を読むと、例外なく歪な家庭環境や交友関係を見いだすことになる。だから、薬物乱用者の人たちは、堀井氏が指摘するように、「つらい事や、生い立ちのキズをごまかす」と同時に、「生きるために」覚醒剤を使っているのかもしれない。
極論かもしれないが、筆者は、死を試みるくらいなら、薬物乱用のほうがマシであると考えている。なぜなら、死は挽回が不可能だが、薬物中毒は挽回できるからだ。ダルクには、生きづらさを感じ、「同じ悩みを抱える」仲間が支え合い「生き直し」を模索する場である。
コロナ禍で大切な何かを失い、誤って薬物に手を出してしまった人、生きづらさから薬物乱用に至った身内に悩む人は、近隣のダルクの門をたたいてみてほしい。そこには、同じ苦しみを経験し、生きなおしを支え合う仲間がいる。そして何より、そこには、あなたの苦しみや悩み、生きづらさに共感し、受け入れてくれる社会的居場所がある。