良いと思ったら、いいね! とレビューで応援する
SNSなどでコンテンツへの感想を投稿するのは、意外と恥ずかしいものだ。
「こんな浅いことしか言えないのか」と思われるのが怖かったり、自分のリアクションがどう見られるかが気になったりするからだ。
しかし、そのリアクションはコンテンツ制作者への応援なのだ。インスタグラムの投稿やユーチューバーの動画。最近見た映画や本のレビューでもいい。いいね! ボタンを押す、で感想を書くなど、どんな小さなことでも、あなたの行動は応援につながる。
良いと思ったら、恥ずかしさの殻を破ってリアクションを示そう。あなたの応援は、制作者たちの恥を支えている。
自分のアウトプットの質を上げるためには、インプットの質を上げる必要がある。これは「今よりもイイものを見ろ」という単純な話ではない。摂取する情報の質を上げるだけでなく、情報の摂取の仕方の質を上げるということなのだ。
具体的には、「インプットのためにアウトプットする」ということ。自分はそのコンテンツの何が好きだったのかを考えて言語化することで、はじめてその情報は自分の脳に定着する。
コンテンツは消費するだけではもったいない。リアクションを示すことで、自分のインプットの濃度が高まるだけでなく、制作者の人たちが次の恥に向かうための勇気に変わるのだ。
行くか行かないか迷ったなら行ってみる
飲み会や遊びに誘われたとき、面倒になって、行くかどうか迷った経験はないだろうか。頭の中にはそのとき、いろいろな言い訳が飛びまわる。知人が少なさそう、場所も少し遠い、今日は雨が降るかもしれない……。
行かない理由をいくら並べても、行かないという消極的選択を選ばせようとしているのは、実は、ホームではない環境に飛び込むのが恥ずかしいという、あなたの感情なのだ。
「面倒」の語源の説のひとつに、人を褒め慈しむ「めでる」がある。このときに気恥ずかしかったことからその複雑な感情が強調されて「面倒」に残ったという。面倒と恥はそう遠くない感情なのだ。実際、面倒なことは、恥ずかしいことが多い。
迷ったなら行こう。行かないと即決せずに迷ったということは、行った先に何か新しい発見やつながりがありそうだと感じているからだ。行って後悔することはない。なぜなら、行ったからには後悔しないよう普段より積極的に楽しもうとするからだ。
忘れてはいけないのは、あなたを誘ってくれた人は「断るかもしれないあなたを誘う恥」をあなたのためにかいてくれた人である。
あなたのために恥をかいてくれる人は大切にしよう。そして彼らのために、あなたも恥をかこう。
一方で、迷うまでもないような誘いは思い切って断ってしまってもいい。「行ってもどうせ」と思っているうちは、「どうせ」何も起きない。