「雑用」を言いつけられたら、どのようにこなすべきか。電通のコピーライター・PRアーキテクトの中川諒さんは「この世に『雑用』という仕事は存在しない。そんな時は恥ずかしくても自分がプロジェクトリーダーだと思い込む。打ち合わせのセッティング、資料のデータの取りまとめ、出力やホチキス止め。どれも仕事を成功させるために必要なセッティングと考えれば、雑用ではなくなる」という——。

※本稿は、中川諒『いくつになっても恥をかける人になる』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の一部を再編集したものです。

大量のタスクをこなす多忙なビジネスパーソン
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尊敬されることも尊敬することもやめてみる

尊敬されようとすることが、恥の生まれる原因だ。いつも立派な自分でいる必要はない。人を尊敬するのをやめよう。「尊敬」という言葉を使うのをやめよう。

一見生意気な意見に見えるかもしれないが、尊敬は二人の人間を尊敬する側と尊敬される側に分断し、縦の人間関係を構築する。そして尊敬する対象から自分が評価されたい、選ばれたいという意識を自分の中に生み出すきっかけになってしまう。

そう感じているうちは、相手との心の距離も縮まることはない。心理的安全性は確保されず、自分の「良いところ」だけ見せようとして、恥をかくこともできなくなるのだ。そこには二人を分かつ、見えない大きな壁が生まれている。

中川諒『いくつになっても恥をかける人になる』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)
中川諒『いくつになっても恥をかける人になる』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)

これは決して目上の人を敬うことを止めろと言っているのではない。そこでオススメしたいのが、上下の関係性をつくる「尊敬」よりも、誰に対しても平等な「尊重」を大切にするということだ。

たとえ相手が目上の人であっても、家族や友人と同じように横の関係で付き合うようにしたほうがいい。「尊重」があれば、相手を敬いながらも、互いに対等な横の人間関係をつくりあげることができる。

所属や肩書を超えて互いに尊重できる人間関係ができれば、他人の評価は気にならなくなるだろう。