ストリップを見ると、なぜだか自分の体も慈しもうという気になる
「ストリップに出会わなければ、私はずっと、自分の身体を粗末に扱い続けただろう」
女性向けのストリップ劇場入門コミックで新井さんはそう寄稿している。その言葉が、やけに頭に残って離れなかった。自分の体を粗末にしていたとは、どういうことなのだろう。新井さんに尋ねると、少し考えこんだ後、言葉を続けた。
「それまで自分の体が、あんまり自分のものとは思えなかったんです。運動とか、美で自分の体を追求している人もいると思うけど、私は真逆で、割と体から浮遊しているタイプだった。でも、ストリップに出会って体に対する考え方ががらりと変わりましたね。さまざまな経験や食べ物、人との関わりによって、その体が成り立っている。それは決して当たり前のことではなく、奇跡的ですらあると思うんです」
わかる、と思う。私も割と体をないがしろにしがちな性格だからだ。
しかし、ストリップを見ると、なぜだか自分の体も慈しもうという気になる。体も季節も時間も移り変わっていく。この時間も肉体も永遠ではない。だからこそ尊い。そんな当たり前のことに気づかされる。だから、ストリップは季節の移ろいをテーマにした演目が多いのかもしれない。
自分自身の体そのものが赦される体験
「女性は、自分の体に自信のない人も多いけど、ストリップに行けばみんなそんなのバカらしいって思うはず。私は、おっぱいがちっちゃいとか、がりがりだなと言われたりもするんだけど、確かにそうだね、としか思わないんです。ストリップを見ると、そんな些末なものではない人間の豊かさを感じられると思う。それ以前に体が自由に動いていることの奇跡がある。他人と比べることなんて全く無意味だということを感じられるんじゃないかな。確かにすごくきれいな体の子はいる。でも、家に帰って自分の体を見て、がっかりするんじゃなくて、これもこれでいいよなと思えるようなステージでありたいと思っています」
新井さんの言葉を聞いて、あぁ、そうかと感じた。ストリップ劇場に行くと、なぜだか全てを赦される気がする。ずっと、前からそんな感覚を感じていた。それはなんでなんだろうと。しかし、それは踊り子さんを通じて、地続きの自分と向き合うこと、そして、コンプレックスまみれの自分自身の体そのものが赦される体験なのかもしれない。