「国立メディア芸術総合センター」構想の復活を

私は矢口氏の取材を断続的に5年に渡り行った。東京の自宅に通い、時には秋田を訪れた矢口氏を追い、晩年に体調を崩してからは電話など、取材は延べ30回に渡る。ほとんどが2時間超の長丁場で、しつこい取材にも関わらず、矢口氏はいつも嫌な顔をせず応対してくれた。時には秋田直送のネマガリタケなど郷土料理をご馳走になりながら。

藤澤志穂子『釣りキチ三平の夢 矢口高雄外伝』(世界文化社)

没後、遺族から聞いたのは、私が亡くなった長女の由美さんと同い年であり、何らかの重なる部分があったからではないか、ということだった。

矢口氏はよく「国立マンガアーカイブのようなものができるなら、増田まんが美術館がその分館になりたい」と話していた。かつて政府内で検討されながら、「国営マンガ喫茶」と批判されて2009年、旧民主党政権でお蔵入りした「国立メディア芸術総合センター」構想を指している。

廃案から10年あまり、いまの私に出来ることは、矢口氏の遺志でもあるこの構想が復活するよう、本書をきっかけに世論を醸成することだと思っている。

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