2015年に『釣りキチ三平』など自身の原画、約4万2千点を増田まんが美術館に寄贈。美術館では文化庁の支援を得て現物とデジタルと両面での保存活動を始めた。並行して美術館のリニューアルを企画し、他のマンガ家に寄贈を働きかけていく。

増田まんが美術館に自分の名前を冠さなかったのは、他のマンガ家の作品も収蔵する本格的な美術館にしたかったから。「僕の名前をつけちゃったら、僕が死んだら誰も来てくれなくなるから」と笑っていたが、本当の理由は違うところにあった。

アーカイブルーム
撮影=筆者
館内にあるアーカイブルーム。秋田県出身のマンガ家、きくち正太氏の映像も流れる

東村アキコをすし屋で口説く

原画収蔵の「手足」として動いたのは、横手市職員だった大石卓・現増田まんが美術館館長だ。矢口氏にとっては秘書かつ実の息子のような存在で、この10年ほどは矢口氏の紹介で東京のマンガ界に足場を築き、各方面に食い込んで原画を譲り受けてきた。

売店のマンガウォール
館内の売店には、天井まで絵を敷き詰めた「マンガウォール」が
そびえる(撮影=筆者)

「僕は先生の『終活』のお手伝いをしているようなもの」と話していた大石氏は昨年11月、矢口氏の様態が急変した際にたまたま東京に出張中で、病院で最期を看取り、密葬の手伝い、全てが済んでからの報道発表などを取り仕切ってもいる。

東村アキコ氏が原画を預けることを決めたのは、大石氏の仲介だった。東村氏は『東京タラレバ娘』など、等身大の女性の本音を描いた作品が、たびたびテレビドラマや映画になっている人気マンガ家。自然の風景を描く際には常に『釣りキチ三平』を側に置いて参考にしてきた矢口ファンでもあった。矢口氏の自宅近くのすし屋に呼ばれ、寄贈を説得される。

「矢口先生は私にとって『歴史上の人物』で、ぜひお会いしたかった。自分の原画は自宅の押し入れに突っ込んだままだったので、先生に『美術館で預かってやる』といわれて『お願いします』と言ったら後日、大石さんがトラックで、うちまでやって来て運んでいきました。これでうちが火事になっても大丈夫」

矢口氏が生前、悔やんでいたのは『ルパン三世』で知られるモンキー・パンチ氏の原画の寄贈を一括して受けられなかったことだ。

マンガの蔵
撮影=筆者
「マンガの蔵」は、湿度と温度を保った銀行の金庫のような部屋で原画を保存する