※本稿は、髙橋秀実『定年入門』(ポプラ社)の一部を再編集したものです。
「イヤでイヤでしょうがなかった」
「私の父は工場勤めでした。勤務は朝8時から午後5時まで。工場と社宅の往復の日々。その生活が私の理想でした。そういう生活をずっとしたかったんです」
しみじみ語るのは大手スーパーを60歳で退職した竹山亘さん(63歳)である。大学卒業後、スーパーに入社して勤続38年。定年は65歳だったが、「もうイヤでイヤでしょうがなかった」そうで早期に退職したという。
「要するに、スーパーは楽だと思ったんです。もともと私は特にやりたいこともありません。ただ『楽したい』。楽して生きていきたいというのが昔からの願いなんです」
――それで実際のお仕事は……。
私が訊くと、彼は微笑んだ。
「スーパーって商品の並べ方によって売り上げが変わるんです。それが面白いと思いました。それでなぜか自分にもつとまっちゃったんですね」
――つとまっちゃった?
おそらく謙虚な人なのだろう。実際、彼は3年間の店舗勤務の後、本社に呼ばれたらしい。商品部に配属され、瞬く間に衣類部門の責任者に。以来、商品の買い付けはもちろんのこと、毎週開かれる全国店長会議に出席。「それほど変わらないのに、毎週毎週、売り上げの分析やら目標設定などをしなければならない」という激務に追われる。毎朝6時半発の電車に乗り、帰宅は夜11時過ぎ。休みは年間にわずか30日で、「楽」とは程遠い生活を送ることになったそうである。
上に行けば行くほど働かされる
「本当に失敗しました」
うなだれる竹山さん。
――何が失敗だったんでしょうか。
彼の担当部門は年間1000億円も売り上げていたというくらいで、会社からも評価されていたのではないだろうか。
「51歳の時に長年のストレスで血管が詰まって心筋梗塞。バイパス手術を受けたんです。その2年後には今度は心臓の弁が動かなくなって、再び大きな手術を受けました。ですから私は『身体障害者1級』なんです」
――そうだったんですか……。
「会社って上に行けば行くほど働かされるんです。私は別にエラくなりたいわけじゃない。ただ、ずっとこの仕事を続けていたいと思っていただけなんですが、いつの間にか先頭に立っていまして。やっぱり5番目くらいがちょうどよかった」
――5番目?
「同期で5番目ということです。ちょっと遠く離れた田舎で店長をする。売り上げも抜群の成績でもなく、かといって悪くもない。点数でいうと80点くらい。ちょっと上の成績という感じで、話題にならず、目立たないようにする」