――実際、そういう方はいたんですか?

「いましたね。彼は昇進試験も受けずに、静かに店長を務めていました。上司からも推薦がかからないので出世もしません。しかし彼は65歳の定年まで勤めました。私のほうが年収は高かったけれど、彼の年収なら5年で4500万円くらいになるので、生涯賃金にすると彼のほうが結局高かったんじゃないかな」

頑張ると損するということか。実際、彼は体を損なってしまったのだ。

「心臓の手術を受けてしばらく会社を休んでいた時、たまたま古本屋で『ご隠居のすすめ』という本を見つけまして。その本に、隠居するなら早いほうがいいと書いてありましてね。それで隠居したいと思ったんです」

定年は「隠居」の年

退職ではなく「隠居」。何やら「引退」に似ているが、調べてみると戦前の民法では「隠居」はれっきとした身分だった。参考までにその条文(第752条)は次の通り。

戸主ハ左ニ掲ケタル條件ノ具備スルニ非サレハ隠居ヲ爲スコトヲ得ス
一、滿六十年以上ナルコト
二、完全ノ能力ヲ有スル家督相續人カ相續ノ單純承認ヲ爲スコト

隠居とは戸主権の放棄。家督、債権や債務を子供に譲り、主から家族の一員となる。要するに、家制度の責任から解放されるのである。この条文で気になるのは、満60歳以上でなければならないという規定だ。奇しくも高年齢者雇用安定法に記されている「定年は、六十歳を下回ることができない」(第8条)と同じ内容で、なぜこのように定められているのかというと――、

隠居の制度は我國古來より行はれたる制度にして、通俗に樂隠居又は若隠居と稱し任意に戸主の地位を退き得たるが如きは之れ畢竟安樂に餘生を送らんとするに出づるものにして世人を遊惰に導き安逸の風を助長し不生産的の者を増加するの虞れあり
(沼義雄著『綜合日本民法論(3)』巖松堂書店 昭和8年)

隠居は日本の伝統的な制度で、日本人は若いうちから隠居したがるのだという。それを認めてしまうと世の中に「安逸の風」、つまり安んじて楽する風潮が広まってしまうので、「満六十年以上」という年齢制限を設けたのだ。

もともと日本人(特に男)は楽したがる。責任を放棄したがる。ゆえに60歳までは我慢しなさいという法律だったのである。もしかすると「定年」も同じかもしれない。

60歳になったら「辞めなくてはいけない」ではなく、「もう辞めてもいい」という隠居の精神が生かされていたのではないだろうか。