自分でも「なんで、こんなことやってるんだ」と常に思っている
【東】僕としても、水が澄んでいる上流に住んでいたかった。しかし言論という川は、下流のほうが枯れてしまうと、そのうち上流も枯れていくものなんです。川がどこからはじまっているかといえば、実は下流だった。哲学や批評の将来を考えると、「このままでは下流から消滅していくぞ」という危機感があって、上流から中流、下流へと居場所を移していったわけです。自分でも「なんで、こんなことやってるんだ」と常に思っています。
【楠木】それは意外ですね。
【東】本にも書きましたけど、僕は学者の家庭で育っていないせいか上流のコミュニティが肌に合わないところがあります。上流で静かに暮らしたい一方で、それだけでは満足できない。「哲学をやっていたら、自分の考えがみんなに届くのがふつうだよな」という思いはベースの部分にあります。
でも、それがなくても、やはり川は下ったと思います。そもそも読者がいなければ、哲学や批評は成り立ちません。「業界の構造が間違っているんじゃないか」と気づいた結果、自分で川を下っていくしかなかった。もし僕らより前の世代が、下流域をちゃんと守ってくれたら、その必要はなかったでしょう。前の世代が枯らしてしまった下流域を自分で整備している感じはあります。
【楠木】なるほど、一般読者とのつながりを軽んじた時期がつづいたから、枯れてしまったと。その見方が当てはまる分野は、ほかにもありそうです。
文系の学問はこのまま滅びても不思議じゃない
【東】昨年秋にメディアを騒がせた日本学術会議の任命問題でも、似たようなことを感じました。学者にとっては大問題でも、一般の生活者にすれば「ほとんど世の中の役に立ってないから当然」となる。いま文系の学者は、ものすごく評判が悪い。ネットでは「文系の学者いらなくね?」などとバンバン書かれて、世論調査でも「日本学術会議の組織見直しについて賛成」が7割という結果でした(※)。
※編註:JNN世論調査(2020年11月7日、8日)では、日本学術会議の組織見直しについて「賛成」が66%、「反対」が14%、「答えない・わからない」が20%だった。
文系全体に対する社会的な信用が地に落ちているのに、学者自身は大学のシステムに守られているから事態を真剣に受け止めていない。政府や世論の批判をして満足している。僕からすると、このまま滅びても不思議じゃないほど、日本には文系の学問の居場所がなくなっています。この状況から脱するのにはどうすればいいかと深く考えている人はほとんどいない。