政権批判や運動にコミットしないと「冷笑的」といわれる

【楠木】私も大学にいる学者の1人ですけど、究極的には、大学がどうなろうと自分がやりたいことをできればいいというスタンスです。芸者と置屋みたいな関係。自分の芸を自由にやらせてもらえるような居心地のいい置屋にいたい。この意味で利己的ですね。得意な芸を披露して、お客さんが「いいね」と言ってくれたらそれでOK。だから、日本学術会議といった社会制度にも関心がない。もちろん先方から誘われたこともない。

まったく知らなかったので、ニュースになったときに「誰がいるんだ?」と名簿を確認しました。主観的な基準でいえば、優れた学者も一部にいますが、そうでもない人たちもけっこういる。あまりピリッとした団体じゃないな、という印象があります。

東浩紀氏
撮影=西田香織

【東】僕も似た距離感はあります。もともと僕は、政権批判や運動にコミットしないので、ネットでは冷笑的といわれているんです。

ただ、文系の学問が世の中から遠ざかってしまうのは残念に思います。僕は子どもの頃から本を読むのが好きで、いま自分がやっていることもその延長にある。だから、読者として素朴に哲学っていいものだなと思うんです。2000年以上もまえにソクラテスやプラトンが書いたことが、年齢を重ねてやっとわかってくるようなことがある。そういうのっていいことだと思うんですよね。同じような刺激的な体験を次の世代にもぜひしてほしい。

ハッシュタグデモは複雑なはずの政治を単純化してしまう

【東】ところが、そういう経験の大切さを伝えるまえに、Twitterでハッシュタグを打つことが使命だと思っている大学人がじつに多い。ハッシュタグデモは複雑なはずの政治を単純化してしまう。

むしろ知識人であれば、数百年前から読み継がれてきた古典を引くことで、目の前の政治を歴史的に相対化したり、単純に見える現実の複雑な面を明らかにする役割を果たすべきです。それなのに目の前の政治の話ばかりするから、社会からかえって冷たい目で見られるようになった。「だれでも言えること言っているだけだよね?」と。そういうなかで、文系学問の価値を次の世代に伝えていくみたいなミッションも感じています。

【楠木】なるほど。でも、本当に力量がある人は自然と出てくるものではないですか?

【東】そう簡単にはいえないと思います。文系の学問は歴史のつながりのうえで成立しているものですから、一人の力で何とかできるものではありません。人間社会とはあまり関係がない学問、たとえば物理法則などは一度失われても、誰かが再発見できます。しかし文化は、一度滅びたら復活はとてもむずかしい。だから、残したいんです。一種の教養主義ですけど、そのプラットフォームをどう現実的に構築するか。公的機関には期待できないので、民間ビジネスで立ち上げるしかない。そう考えたところに、僕の特異性があるのかもしれません。