哲学や批評の世界にいるのは、平熱が低いひとばかり

【東】僕はたまたま哲学や批評の世界に流れ着いたわけで、あまりその世界の常識を知りませんでした。だから、哲学や批評ももっといろんな人に届いていいはずだと思っていました。ところが、現実に哲学や批評の世界にいるのは、平熱が低く、抽象的なことばかり言っているひとばかりで、世間からも世の中のことをちゃんと考えていない連中だと思われていました。この状況を変えなければいけないと思いました。

そのためには、僕自身がおもしろいものを書くだけではダメです。たとえいい本が書けても、その本を求める読者がいないからです。そうなるともう、読者ごと創らなくてはいけません。業界のイメージを変え、読者の期待を変えていく。このミッションは、20年ぐらい前から僕のなかにあります。だから、ガラにもなく若い人を集めたり、出版社を起業したりしたんですね。

楠木建氏
撮影=西田香織
経営学者の楠木建さん

【楠木】いまのお話は、半分は私と同じで、半分は違うという気がします。川のメタファーでよく説明しているのですが、周りの研究者を見ていると、仕事の満足というか手ごたえのツボの在り処が、川の上流、中流、下流の3タイプに分かれるように思うんですね。

純粋なアカデミックな人は「奥多摩」にいる人が多い

【楠木】多摩川でいえば、第1のタイプは奥多摩の水が澄んだところにいる人たち。このタイプは、何か「わかる」ことに一義的な喜びを感じる。「わかった! そういうことか!」で8~9割が満たされる。このタイプにとって、そのあと分かったことを論文にしたり、発表したりというのはいわば「おまけ」です。純粋なアカデミックな人は奥多摩にいる人が多いように思います。

そこから川を下って、多摩川でいえば中流の登戸あたりになると、自分がわかるだけじゃ満足できなくて、他人にも自分の考えが伝わり、わかってもらうことに喜びのツボがある人たちがいます。私は完全にこのタイプで、経営学者として最終的には経営者や商売をする人々の役に立ちたいと思っている。ですから、あるときから研究者のコミュニティで評価されることよりも、エンドユーザーであるビジネスパーソンに向けて本を書くようになりました。

東浩紀『ゲンロン戦記』(中公新書ラクレ)
撮影=西田香織
東浩紀『ゲンロン戦記』(中公新書ラクレ)

【東】一般向けの本を書くのは、多くの人に読んでもらって世の中に影響を与えたい、役に立ちたいと思うからですよね。

【楠木】さらに川下に行かないと満足しない人たちもいます。考えを売るだけにとどまらず、世の中を自ら動かすことに手ごたえを感じる。こう言う人は多摩川も東京湾の近く、羽田あたりにいる。東さんはわりと下流のほうにお住まいのようにお見受けします。