住みます芸人に学ぶ「生き残る力」

【原田】ここ米子もそうですけれど、地元に熱い思いを持つ若者は多いです。とはいえ、吉本も民間企業。彼らを雇うことで、大きな赤字が出れば経営者としてはまずい。

撮影=中村治

【大﨑】(大きく頷いて)実家に住むという芸人はともかく、契約社員には給料を払わないといけない。財務(担当)に相談したら、2億2、3千万ぐらい赤字が出るっていうんです。それだったら、まあいいかと始めました。ところが、一年経ってみたら、百何十万なんですけれど、黒字でした。芸人の若い子たちが、昨日来て明日帰りますではなくて、本当に住んだのが大きかった。その決意が伝わったのか、地元の方々に可愛がってもらったんですね。

【原田】ただ、地方は東京や大阪と違って、芸人の仕事は多くないと思うのですが……。

【大﨑】大きいのはなくても小さいのがあるんです。町役場や村役場に、「ぼくたち吉本から来ました、ここに住んでます」って挨拶に行って、コミュニティFMのラジオの仕事をもらったり、村祭りの司会をして一日何千円の世界。それを積み重ねての黒字でした。芸人って、一人ひとりが個人事業主なので、気合いが入っている。喋りだけで、一生食っていこうという連中なので、ぼくらみたいなサラリーマンよりも生きる力があるんです。

【原田】文字通り、舌先三寸(笑)。

【大﨑】地方に行って、住みます芸人とか住みます社員にたまに会うんです。そうしたら、老いたら子に従え、じゃないんですがその子たちに教わることが多い。この生き残る力っていうのは、ぼくらのエンタメ(業界)、吉本の原点じゃないかなと思うようになりました。

吉本会長から見えた、とり大病院の実際

【原田】ところで、大﨑さんは米子は初めてですか?

【大﨑】いえ、実は鳥取は父方の故郷なんです。親父は大阪の堺生まれなんですが、おじいちゃんが大山の山の奥で生まれた。戦争の後、おじいちゃんが大阪に出てきて、おばあちゃんと知り合って親父が生まれた。親父が亡くなる前、故郷に分骨したいっていうんで、親父とお袋たちと車に乗って分骨の場所を見に来ました。行ってみると田んぼの畦道のところにぽつんと石が置いてあって、ここですって言われて(笑)。それが25年前です。

【原田】今回、PCR検査で陰性を確認してから、病院を見学して頂きました。大﨑さんの目に、とりだい(鳥取大学医学部附属)病院はどう映りましたか?

【大﨑】ぼくみたいな素人がふっと来て、お邪魔なはずなのに、いろいろと説明してくださった。皆さん温かく丁寧。わざわざぼくのために、っていうんではなく、それが普通、いつもこんな感じで仕事をなさっているんだろうと感じました。あまり褒めてしまうと、嘘臭くなってしまいますけど(笑)。