コロナ禍で多くの企業が苦境にあえいでいる。倒産を経験し、「奇跡の再建」を果たした吉野家ホールディングスの安部修仁会長は「世の中が変わるほど、そこにチャンスが生まれる。思いやフィロソフィーが一番重要で、それ以外はすべて変わっていい」という――。(聞き手・構成=プレジデント社書籍編集部)
※本稿は、安部修仁『大逆転する仕事術』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
倒産前夜の乗っ取り騒動
1980年に吉野家は倒産するが、実はその直前、乗っ取り騒ぎがあった。
1970年台のはじめ、日本発のファストフードとして、急成長を遂げた吉野家は、急激な店舗拡大の影響で、次第に資金繰りが悪化していった。それに加え、メインの米国産牛肉の価格が高騰した。
そこで当時社長の松田瑞穂氏は、値上げを行う一方で、まだ研究途上だったフリーズドライの肉、さらには粉末のタレを使用した。
ところがこれが牛丼の質を低下させ、「値段が上がったのに味と質が落ちた」ということで、一気に客足が遠のき、経営が危うくなった。
そこで大株主であり、FCオーナーでもあったある会社に融資を頼んだ。すると、その不動産管理会社が、融資をするのと引き換えに、吉野家の実質的な指揮権を握ってしまったのである。
ちょうどそのころアメリカ留学をしていた安部修仁氏は呼び戻されて、びっくりした。
「あれだけ仕事に飛び回っていた仲間たちがまったく働いていない……」
吉野家=松田瑞穂だった松田社長の存在が消えていた。
かわりに、乗り込んできたその不動産会社が本社機能を乗っ取り、吉野家を一度倒産させよう、そう画策していたのだった。