2003年、「牛丼一筋」の吉野家が牛丼販売を停止した。BSE(牛海綿状脳症)でアメリカ産牛肉の輸入が止まったからだ。かつてない危機に直面したが、吉野家は黒字をたたき出した。吉野家ホールディングスの安部修仁会長は「あらゆる部署からの意見を吸い上げ、朝令暮改でメニューを変えた。危機には組織力で乗り越えるしかない」と振り返る――。

※本稿は、安部修仁『大逆転する仕事術』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

吉野家
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「牛丼一筋」吉野家から牛丼が消えた日

「振り返ると、BSE(牛海綿状脳症)のときの取り組みも、その前後に二回、大きな改革を行いましたが、やはり活きたのは、吉野家の組織風土・体質でした」と吉野家会長の安部修仁氏は言う。

吉野家ホールディングスの安部修仁会長
吉野家ホールディングスの安部修仁会長

2003年12月24日、アメリカでBSEが発生し、米国から牛肉の輸入が全面停止となった、と同時に、当時吉野家の社長だった安部修仁氏は牛肉の在庫かぎりで販売を停止することを発表した。

「BSEがアメリカで出たのは2003年の12月ですが、日本ではその2年前の2001年にBSEが出ていました。当時、吉野家の牛丼の牛肉はほぼ100%アメリカ産でした。BSEが欧州で発生して広がった1980年代後半から『もしアメリカでBSEが出たらどうするか』というリスクヘッジの調達を目指して、三井物産の最も優れた肉のエキスパートをスカウトし、米産以外のビーフでの牛丼研究プロジェクトを発足し、オージー、南米産あらゆる可能性を2年半かけて研究、実験しました。その結果、穀物飼料で育っており、品質がよく、しかも均一のものを大量に出荷できるのはアメリカしかないという結論に至りました。ほかのところの牛肉ではやはり吉野家の味には程遠いといったことが分かったのです」(安部、以下同)

牛肉には大きくわけて牧草飼育のものと穀物飼育の2種類がある。オージーなどは、牧草を飼料として育っている一方、アメリカは穀物飼料である。その2つでは、味も臭いもまったく違うという。