「昭和の幸せな生活」は失ってみないと気づけない
【中村】でも今思うと、昭和はあんなに幸せだったのに、なんの文句があったのだろうと。
【藤井】実は僕は昭和の時代は理想化され過ぎの感があると思っています。ただ、裏を返せば、いまがひど過ぎるということなのでしょう。
それはともかく、幸福というものは手放した時に、その価値がわかるもの。どんな小さな町にも日本全国津々浦々に郵便局があった。今回のコロナは民営化の流れで潰されていたかもしれないものが、残っていたからこそ助かった、ともいえる。だから、小泉政権のときの民営化が郵便局ぐらいで止まってよかった。
2000年前後、すでに一部の人たちはネオリベはまずいと主張していた。
でも、ほとんどの日本人は、やっぱり変化を求めていた。半世紀も自民党がずっと支配していれば、飽き飽きするでしょう。社会自体がうまくいっていればいいけど、どこもうまくいかなくなってきた。
誰もが知る大企業は潰れるし、リストラも起きる。地下鉄サリン事件もあって終末感が強かった。そこで自民党的なもの、一言で言えば昭和が標的になったのだと。
【中村】昭和が幸せだったことは、終わって失ってみないとわからなかった。
この30年で進んだのは「ネオリベ的な政治改革」
【藤井】昭和的な日本の民主主義、自民党的な統治を変えなきゃいけない。建前はいいわけす。石原都知事の風俗店を潰す政策も、普通の主婦が聞けば、「これはいいことだ」と思うでしょう。
さらに性奴隷として使われていた女性を解放すると言えば、ああ、いいよね、と誰もが思う。ただ、結局は潰すことしかしないで、その後どうするかをまったく考えていなかった。典型的なネオリベ的やり方です。
【中村】選挙も大きく変わりましたね。
【藤井】小選挙区制の導入にしても、日本の民主主義は不十分なのだと、小沢と手を組んだ日本を代表する優秀な政治学者たちが進めた。彼らのなかには、民主主義は政権が交代するなかでこそ健全に機能するという考えがあった。
だから日本の民主主義を改善するため、小選挙区制が必要だ、と。その結果が安倍政権ですよ(笑)。平成が終わる頃、佐々木毅といった改革の中心人物たちはみんな、「こんなはずじゃなかった」と言っていたのを記憶しています。
【中村】昭和的なものから脱却しなくてはともがいた平成の30年間は、結局なにがよかったのでしょうか。
【藤井】政治改革は進んだけれど、結果としては政治も社会もネオリベ化しただけでした。
つまり、政治も社会も貧困化した。もちろん昭和には昭和の悲惨さがあった。けど、中村さんのお話を聞いていると、現在の日本は、もう手の施しようがない、落ちるところまで落ちるしかないという絶望的な気持ちになりますね。