「体操やってたんか。ちょっと俺たちにもバク転を見せてよ」

場所と器具が必要な体操競技は、趣味で続けるのが難しいスポーツだ。高校時代には当たり前と感じていた恵まれた練習環境を思い、「もっと練習していれば、あの技もできたかもしれない、この技もできたかもしれない」と考えた。

「中学・高校時代は、練習の厳しさに音を上げそうになったこともありました。でも、そこから離れてみると、後悔が湧いてきて……。『どうしてもっとやらなかったんだろう』って」

自宅のアパートでプロテクターを手入れし、ときおり何となく手にはめていた。すると、胸には満ち足りない気持ちばかりが残った。

撮影=門間新弥
大天幕の下でたたずむ中園栄一郎さん。背後に見えるのが空中ブランコの飛行台だ。

彼の暮らす街にサーカスがやってきたのは、そんな思いを抱えながら飲食店でアルバイトをしているときだった。常連客のリクエストで、彼は店外でバク転を見せることがあったのだが、ある日、その噂を聞いたサーカスの団員が興味を持って店にやってきたのである。

聞けばそのうちの一人は空中ブランコの芸人で、年齢も近かった。食事を終えた彼らと少し会話を交わしていると、「体操やってたんか。ちょっと俺たちにもバク転を見せてよ」と言われた。

「俺が体操をやっていたんは、これと出会うためやったんや」

「僕からすれば朝飯前、目をつぶっていてもできる。それで、外に出てひょいっとバク転をしたんです。そうしたら、『サーカス入りなよ』と公演に招待されたんですよ。最初は冗談かと思ったし、全く何も知らない世界です。自分にはとても務まらんやろ、と思いました。ところが――」

公演を見に行くと、瞬く間にその世界に魅了されたのだという。

木下サーカス名物のライオンや象のショー、バイクの曲乗りや揺れる丸太の上でのアクロバット……。そして最後の演目が空中ブランコだった。

目のくらむような高さからフライヤーが飛び、キャッチャーがそれを捕まえてはバーに再び戻す。空中で回転や捻りを加える華麗な演技を見ながら、「全身が痺れるような感覚」を覚えた。

「なんや、これは、と。『俺が体操をやっていたんは、これと出会うためやったんや』というんですかね。体操の経験を活かせる世界が、こんなところにあったんだ、と思ったんです」

すぐに事務所を訪れ、社長に「どうしてもここで働きたい」と面接をしてもらった。それが木下サーカスに来た経緯だ。

撮影=門間新弥
ラオスからやって来た象のショー。芸を決めると客席から歓声がわいた。