ホリプロは三浦友和に負けたんだ

ホリプロ創立20周年を翌年に控えた1979年のことです。わが社の看板スターだった山口百恵が突然、引退すると言い出しました。そして80年10月に潔く芸能界を引退し、俳優・三浦友和君と結婚式を挙げました。多くの業界関係者は「これでホリプロもつぶれる」と思ったようです。

人気絶頂の最中、21歳で芸能活動を引退した山口百恵。その後メディアに露出することはなく伝説となった。
時事通信フォト=写真
人気絶頂の最中、21歳で芸能活動を引退した山口百恵。その後メディアに露出することはなく伝説となった。

というのも稼ぎ頭だった彼女がいなくなるのは、当社にとって大きな痛手だったからです。しかし私は、売り上げが大幅に減るのを承知で百恵の引退を承諾しました。「三浦友和の魅力にホリプロが負けたんだから仕方がない」。そう言って社内を説得しました。

山口百恵の育ての親として、婚約会見にも列席した堀威夫氏。
山口百恵の育ての親として、婚約会見にも列席した堀威夫氏。(時事通信フォト=写真)

なぜ、快く百恵を送り出すことができたのか。それは、ひとりのアーティストに全体の25%以上の売り上げを依存しないという「2割5分の原則」を守って、彼女の売り上げを22%にとどめておいたからです。22%減ならそれまで食べていたステーキをカレーライスに替える程度の努力で耐えられます。

もっとも、2割5分という数字に根拠があるわけではありません。3本の矢で有名な毛利元就なら、リスクの上限は3割3分3厘と言うかもしれません。野球でも一流選手の打率は3割台。でも、私は自分が凡才だとわかっていたので、いいとこ2割5分だろうと決めたのです。