私のような偏差値以前の世代には「自分の限界はここまで」という発想がない。偏差値のようなもので自分の人生にタガをはめられるのは御免だし、やりたいと思うことがあれば努力を惜しまない。
創業間もないホンダに入社して本田宗一郎さんや藤沢武夫さんの薫陶を受け、副社長を務めた西田通弘さんによれば、ホンダがまだ自動車部品の下請けをしていた頃から宗一郎さんは毎朝20数人の従業員を集め、背が低いためミカン箱の上に乗って「世界のホンダになる」と叫び続けていたという。宗一郎さんは高校時代に放校されて高校は名誉卒業だ。
ヤマハの川上源一さんのピアノ研究における科学的な分析力も、高商卒とは思えない、いや学者顔負けの凄さだ。彼は世界中から木を集め、何日干して乾燥させればどういう音がするのか、実に16万通りの実験をした。本場アメリカやドイツでもやっていない木材やピアノ線の研究を繰り返し、ついに世界一のピアノ会社をつくり上げたのだ。弱小資本の日本の楽器メーカーが西洋の伝統楽器であるピアノで世界一になるのだから、今では信じられないような夢物語だ。
途中、世界のピアノ御三家の一つ、スタインウェイ社がかなりの安値で売りにきたことがあるが、「この会社に追いつき追い越すことを目的にしてきたから」と買収しなかった。口癖は「音楽は世界の共通語」。その普遍的な価値観は世界中で受け入れられたし、感動を与えてきた。経営の上手下手はともかくとして、川上源一さんは音楽普及という面において本当に気概溢れる企業家だった。
日本を偉大なる加工貿易立国へ、世界第2位の経済大国へと押し上げてきたものとは、そのような限界のない夢であり、無限の可能性だったように思える。
しかし偏差値という文部科学省の鋳型にはめ込まれてしまうと、身の丈に合った夢しか見られなくなり、手の届く可能性にしかチャレンジしなくなってしまう。そこに少年ジャンプ的な「友情・努力・勝利」というキーワードが重なると、お手軽な成功と極私的な幸せで充足する予定調和の世界観が出来上がる。