「法律を作って粛々と運用する」官僚そっくりだ

システムをつくり、それを黙々と運用する。東大は伝統的に官僚を養成してきた大学だが、まさに、東大生が持つ「法律を作って粛々と運用する」という官僚の資質が、シケ対という仕組みを数十年の長きにわたり存続させているのだろう。

そして同時に、既存のシステムに唯々諾々いいだくだくと従う様は、東大生が「敷かれたレール」から外れることができない人たちの集まりであることを示しているともいえる。

ちなみに、シケ対やシケプリとは別に、時代錯誤社という学内文芸サークルが、毎年4月に『教員教務逆評定』という冊子を300円前後で販売している。学生へのアンケートをもとに、駒場キャンパスで教鞭をとる教員と授業を大仏・仏・鬼・大鬼の4段階で総合評価しており、これを参考にして点をとりやすい授業を選択する学生は多い。

地元で「神童」でも、東大では「中の下」

絶望的な能力差に心折られ多くの人が一カ所に集まると生じるのが格差だ。

東大においてもそれは例外ではない。むしろ、東大という特殊な場所だからこそ、目立って生じる格差がある。

まずは、なんといっても能力の差だ。

東大には、「本当に頭のいい人間」があちこちにいて、入学直後からそういう人たちを間近で見ることになる。

地元では「神童」扱い。東大に合格した際には、通っていた塾の広告塔としてテレビCMにまで出演した若者――なにを隠そう僕のことだ――も、東大に入ってみれば凡庸な、というか、どちらかというと中の下の能力しか持たない人間であったことを思い知ることになった。