意味不明な講義を嬉々として受けるクラスメートの姿

例えば、僕の駒場時代(1、2年生時分)はこんな感じだった。

必修科目である数学の担当教官は、ただでさえ難解な講義を、なんということだろう、片言の日本語で行うドイツ人だった。

元から数学が苦手だったこともあり、僕には教官が話していることがサッパリ理解できない。ならばと、推薦図書とされていたバカ高い専門書をバカ真面目に買って読んでみるが、書かれてある数式の上をひたすら目が滑るだけだった。

こうなると、講義中の教官の言葉は、単なるノイズとして右の耳から左の耳へと抜けていく。数学は完全な積み重ねの学問だから、理解が止まった場所から先へは一歩も進めなくなった。

一方で、高校生のころに数学オリンピックに出場したというクラスメートは、毎回嬉々として講義を受けている。どうやらこの意味不明な講義は彼にとって大変充実した時間であるようだ。しばしば、教官と熱いディスカッションをしている。しかも、日本語が不得手な彼に配慮して英語で!

またあるときはこうだ。

みなで同時に学びはじめた中国語の試験が近づいてきたころのことである。こちとら赤点を回避するべく必死になってシケプリにかじりついているというのに、クラスメートの何人かはすでに学内にいる中国人留学生、すなわちネーティブとの、日常会話をこなしている。「ちょっと実践をしてきます」という感じで、試験期間中に中国旅行をしてくる人もいたし、幼少時を華僑が通う海外の小学校ですごしたとかで、もとより中国語がペラペラの人もいた。そういう人たちは、改まっての試験勉強など必要としていない。

絶望的な能力の差を知ってしまった

東大では一事が万事こんな調子なのだ。

法学部在学中に予備試験を経て法科大学院に行かずに司法試験に合格してしまう人。

まだ学部の4年生なのに英語での学会発表を質疑応答まで難なくこなし、発表後の懇親会では世界の研究者たちとこれまた巧みな英語で積極的なコミュニケーションをとっている人。

池田渓『東大なんか入らなきゃよかった 誰も教えてくれなかった不都合な話』(飛鳥新社)
池田渓『東大なんか入らなきゃよかった 誰も教えてくれなかった不都合な話』(飛鳥新社)

学生ベンチャーを立ち上げ、東大人脈を最大限に生かして一般的なサラリーマンの生涯年収くらいのお金をサクリと集めてしまう人。

院生の時点で高いインパクトファクター(影響力)の科学雑誌に研究論文を何本も載せる人……東大にはそんな人がゴロゴロいる。

頭の回転も集中力も行動力も、この人たちには絶対にかなわない――そんな絶望的な能力の差を、あらゆる機会に認識させられるわけで、僕のような凡庸な東大生にはけっこうつらいものがあった。僕と同じように、間近にいる本当に優秀な人たちに引け目を感じていた東大生は、少なからずいたはずだ。

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