かわいがっている猫との関係すら否定する胸の内は
あのモンちゃんについて女性記者が尋ねてみても、“猫のおじさん”は「自分の猫ではない」の一点張りだったが、彼女がふと「猫の名前は?」と聞くと「ミイちゃん」と答えた。そして、ミイちゃんがまだ子猫の頃、近くの小学校の近辺に捨てられていたのだと教えてくれた。しかしそれでも「育てた覚えはない、勝手に付いてきただけだ」と繰り返し口にしていた。
この男性が子猫を保護し“ミイちゃん”と名付けてかわいがってきたのだろう。しかしそれを頑なに否定し、道の駅に住んでいる猫だと言い続ける。それはいったいなぜだったのだろうか。
もう少し彼と話ができればその謎は解明できたのかもしれない。しかし残念ながら、男性ときちんと話ができたのはこれが最初であり、最後だった。以降はほとんど話を聞かせてもらえず、取材の規模が全国に広がるにつれてこの道の駅を訪れる機会もすっかりなくなってしまった。
このあと、私はさまざまな道の駅で多くの車上生活者と出会うことになるが、“猫のおじさん”はきわめて荷物が少ない人であった。
ひょっとすると彼は、たとえかわいがっている猫であったとしても自分以外の存在と必要以上に関わりを持ちたくなかったのではないだろうか。自らがモンちゃんの飼い主であることを頑として認めなかったのは、猫を放し飼いにしていることを咎められたくないという気持ちもあったと思う。その一方で、明日をも知れない車上生活を送るなかで、「自らに関わりがあるものを少しでも減らし、身を隠したい」──。そんな思いが、男性には少なからずあったのではないだろうか。