私はモンちゃんを指しながら、「お父さんの猫なんですか?」と質問を続けた。すると「ちがうよ、ここの猫だよ」と、少し語気を強めて答えた。女性職員が言っていたように、自分が飼い主だとは言わないようだ。
私は意を決し、核心に迫る質問を投げかけた。
「事件のあった家族は車で寝泊まりしていることもあったみたいなんですが、お父さんはここで寝たりすることありますか」
「なんでそんなこと聞くんですか? そんなこと知らないよ、俺は」
そう言うと、窓が閉じられてしまった。車の外から一礼をしてその場を立ち去った。
時間にすれば1分程度の取材にすぎなかった。しかし、けっして門前払いされたわけではない。もう少しくだけた、雑談のようなかたちだったら、また違った話が聞けそうだという可能性も感じていた。
旧国立競技場の建設にも関わったとび職だった
翌日、事件取材を共にしてきた女性記者と一緒に、改めて“猫のおじさん”のもとを尋ねた。最初は警戒されたが、物腰柔らかく、コミュニケーション能力に長けた女性記者のおかげだろうか、男性はその身の上を少しずつ語ってくれた。
“猫のおじさん”は72歳。10代の頃からとび職として全国各地で働いてきたのだという。旧国立競技場に瀬戸大橋。東京都庁や東京スカイツリーの建設にも関わったのだと、自慢げに語ってくれた。大手建設会社の下請けとして働いていたが、高齢になって仕事を辞めざるを得なくなったのだという。
年金はあるものの、この道の駅近くのアパートの家賃を支払うことができずに車上生活を始めたのだそうだ。本人が語るところによると、現在は盆栽の剪定のほか、冬場は長野や岐阜に雪下ろしに出向き収入を得ているらしい。
おそらく、“猫のおじさん”の言うとおり、彼は半世紀にわたって建設の現場から日本の高度経済成長を支えてきたのだろう。それは現在も彼の誇りであるようだ。ただ、職人として十分な腕があったのであれば、年金での生活になったからといって、急にアパートの家賃が払えなくなり、車上生活を余儀なくされるようなことにはならないのではないか? 車上生活に至るまでには、他人には言いにくい、何か他の原因も大きく影響しているのかもしれない。
しかし必死に働き社会に貢献してきた人が、人知れず、家もなく、車の中でその晩年を迎えている──。私にはそのことが無性におそろしく感じられた。