海外初渡航で英語力を実践
【三宅】別所さんは1990年に日米合作映画『クライシス2050』でハリウッドデビューされました。自分で売り込みに行かれたのですか。
【別所】はい。大学を卒業して1年目、俳優としての道を模索していたとき、新聞に公募が出ていたのです。それを見つけてくれたのは父親で、私のキャリアについて意見を言うことのなかった父親が、ある日、「お前、英語劇から俳優の道に進んだのなら、こういうことにチャレンジしてみろよ」と言ってくれたのです。そこでオーディションを受けてみたら、幸運にも合格することができました。
【三宅】それが海外初渡航だったと。
【別所】はい。初めて英語力を実践する場でもありました。
「ゆっくり喋ってくれ」と言えるか
【三宅】いざアメリカに行かれてみて、印象的だったことはありますか?
【別所】一番強烈だったのは、それまで自分が一生懸命勉強してきて、英語劇の中でさんざん疑似体験をしてきた英語が、思うほど通じなかったことです。オーディションに合格したわけですから英語についてはある程度自信を持って行ったのですが、現地の人たちが話す英語のスピードについて行けませんでした。
【三宅】どうやって克服されたのですか?
【別所】開き直りです。最初の2カ月ぐらいは悶々としながら過ごしましたが、「僕は日本人なんだから、英語で間違っても恥ずかしくはない。今の自分にできる英語で表現していこう」と開き直るようにしました。どれだけ間違っていても、どれだけたどたどしくても、自分からコミュニケーションを積極的にとる。相手の言葉が速すぎてわからなければ、「ゆっくり喋ってくれ」と伝える。このように英語に対する態度を変えたことで、急にコミュニケーションが楽になりました。
【三宅】日本人は、わからなくてもわかったフリをしがちですからね。
【別所】ええ。日本人は自分の意見を言わなかったり、相手の言うことを聴き取れなくても黙っていることが多いのですが、意思疎通が図れないなら、それはコミュニケーションではありません。だから僕も開き直ったあとは、早口でしゃべる人がいたら、「なんでそんなに速くしゃべるんだ。君だって日本語をしゃべれないでしょ」とはっきり言うようになりました。
【三宅】腹を括ったわけですね。