その意味でも、最初のきっかけとなったツイートがアメリカ人の男性からのものだったことは、とてもよく理解できます。アメリカの感覚なら、あの空間にあの性的なメッセージを持つものが出てくるのは、かなり違和感があるはずです。アメリカには性器にモザイクをかけるという規制はありませんが、そうしたものは特定の場所で消費されるもので、公共の空間での性的表現は、日本に比べるとかなり抑制的です。そのため見た瞬間に「いかがなものか」という疑問がわいたのでしょう。しかもそれを民間企業ではなく、公共性の高い日本赤十字社がやってしまった。不買運動もできませんから、反発だけが膨らみます。

「胸がどれ程強調されているか」線引きは難しい

男性向けの性的な商品を不快に感じる女性がたくさんいることは事実で、その人たちが不快に感じないようにするしくみが必要なのですが、それはそうした表現が「女性差別」かどうかということとは、無関係ではないですが、同じではありません。さしあたりは別です。ここで問題なのは表現の内容ではなく、その性描写をどの範囲までオープンにするかが問われており、まさにゾーニングの問題です。そしてそのゾーニングの間違いという意味で「環境型セクハラしてるようなもの」と批判されてしまうのだと思います。

瀬地山角『炎上CMでよみとくジェンダー論』(光文社)

日本赤十字社は宇崎ちゃんとのコラボキャンペーンの第2弾を打ち出し、クリアファイルを胸をあまり強調しないものにしました。これに対し批判の急先鋒だった太田啓子もツイッターで「いい方向になったんだな、赤十字社がはじめからこういう企画でやっていたらよかったですね」とコメント。矛を収めることとなりました。

ただ胸の強調がなくなったわけではなく、逆に私はこれならいいのか、と疑問が残ってしまいました。日本赤十字社を批判したいのではなく、胸の強調がどの程度だったら許されるのかの線引きを、私もはっきりと示すことができないのです。これはマニュアル化できるはずもなく、やはり不愉快に思う人がいることを想定しつつ線を引いていくしかないのでしょう。その均衡点は時代とともに変わっていくのですが。

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