1つの展覧会の記事が総計で20回や30回は載る
さらに展覧会が始まると「開幕した」と社会面に記事が載り、10万人超えるごとに社会面で報告される。例えば朝日新聞を取っていたら、「コートールド美術館展 魅惑の印象派」(2019~20年)の記事がたぶん総計で20回や30回は載る。そのうえ、読者対策で招待券を配ったり、休館日に抽選で読者招待日を設けたりする。
日本の新聞は海外に比べると圧倒的に部数が多い。米国のニューヨーク・タイムズ紙は50万部、フランスのル・モンド紙は30万部前後だが、日本は一番多い読売の850万部強、次の朝日の600万部弱を始めとして、毎日280万部、日経250万部、産経は150万部。海外の著名な新聞は内容もハイレベルの「高級紙」=クオリティ・ペーパーと呼ばれるが、何百万部の日本の新聞はそうはいかない。
いずれにしてもこれだけの部数があれば、一紙だけで宣伝しても何度もやれば相当の物量になる。普通はまともな「美術批評」や美術展の紹介記事を書いているベテラン美術記者も、遮二無二これに参加させられる。
「押すな押すな」の状況で落ち着いて見られるのか
平成になって美術展に参加し始めた民放テレビ局はもともとそうだが、新聞社も今では個々の展覧会が細り行く本業以外で収益を上げるために、人件費も含めて黒字になることを目指している。そうなると、これまで以上に宣伝に力を入れる。
日本の美術展で1日の入場者が平均6千人を超す人数になって世界トップレベルの「押すな押すな」になるのは、それだけ宣伝をして「押し込む」からだ。それにしても、なぜそこまでやるのか。
企画展の出品作品をすべて海外から借りてきたら、輸送、保険、借用料、展示費用、宣伝、会場運営など総経費は5億円を超すことが多い。単純計算してみよう。
3か月で休館日を除く開催日が80日だと、前売りと当日券と割引や招待を合わせた平均単価1500円計算で1日5千人来たらようやく6億円になる。総来場者は40万人。そんな「大成功」でも、人件費を生み出すためには、これにカタログやグッズの収入を足す必要がある。さらに収益も出さなくてはならない。収益が出れば主催者で出資比率に応じて分配となる。
「文化事業」とは名ばかりで、新聞やテレビの大手マスコミが自社メディア宣伝を駆使して、世界的にもトップ10にはいるほどの混雑の中で作品を見せられているのが、日本の展覧会の悲しい現状だ。有名作品の前で「立ち止まらずに歩きながら見てください」と叫ぶ係員の声を聞きながら見る展覧会のどこが「文化」だろうか。
まともに落ち着いて作品を見ることができない状況を作り出しているのが今の新聞・テレビ主催の「話題の展覧会」であり、それは世界的に見ても珍しい状況なのだ。
先述の「フェルメール展」は日時指定だったが、実際に行ってみたところ1時間に千人は押し込んでいた。これは入口で長時間待つことがないだけで、場内は大混雑だ。ゆっくり見られるはずの日時指定のメリットはあまりない。
史上最多数のフェルメール作品を見られる機会ではあったが、あれだけ高額のチケットに見合う価値は、本当にあっただろうか。「押すな押すな」のなか8点か9点を一瞬ずつ見たと喜ぶのはどこか馬鹿げていないか。