習体制になり、言論の自由の制限は次の段階

18年7月、ある女性が中国・上海で習近平国家主席の「独裁に反対する」などとして習主席の顔が描かれたポスターに墨汁をぶちまけた。彼女は当局によって精神病院に入院させられ、1年半後の20年1月に久々に消息が伝えられたが、まるで別人のようになっていたという。この件は運よく表ざたになったが、人権派弁護士や活動家をはじめ政府批判を行って投獄され安否も分からない状況にある人たちは数百人ではきかないだろう。

もちろん習近平以前から中国の言論の自由は著しく制限されていたが、習体制になってから、その厳しさの段階は変わった。それは自国民だけでなく、中国で活動する記者も同様だという。朝日新聞国際報道部の峯村健司記者は19年9月刊行の『潜入中国』(朝日新書)で「こうした潜入活動ができるのも最後だろう」と綴っている。

中国当局は新疆ウイグル自治区に教育施設を装った施設を設営し、100万人以上とも言われるウイグル人を収容。イスラム教に基づく文化や習慣、イスラム語などに代わって、「中国共産党公認」の文化や言語を教え込む。当局に言わせれば、これはあくまでも「再教育」であり、北京語を覚えることで学業や就職で活かせるようになる善意の政策であるとのことだが、当のウイグル人からすれば、宗教と文化を奪われ洗脳を強いられる強制収容所に他ならない。

それでも大方の中国人民、それなりに満足し幸せ?

それでも大方の中国人民は、それなりに満足し幸せを感じているという解説もある。40年前の中国を思えば、貧乏で移動の自由もなく、人民服で自転車に乗っていた自分たちが、先進国と同じようにスマートフォンなど最新機器を手にし、所得は上がり続けている。海外旅行にも行けるのだ、と。

改革開放路線に経済成長以外の期待をかけたのはアメリカだった。1970年代初頭の電撃的なニクソン訪中以降、アメリカは陰に陽に、中国が国際社会の一員になるよう支援さえしてきた。その背景には、「中国も豊かになれば民主化するだろう」という思いもあった。やがて人々は一党独裁体制に疑問を持つようになり、政治に参画したいという意識を持ち始める。民主化への流れは経済発展とともに高まるだろう、と。