一方の慶應は、経済の現場で責任ある立場を担っているという感覚が強い。特に下から上がってきた学生たちは、ご家族が日本経済のエスタブリッシュメントに属している人たちが多く、学問的な卓越に加えて、自分たちが経済を回すのだという自負にあふれている。
在野の誇りを抱く早稲田と、ビジネスマインドにあふれた慶應。両大学はいろいろな意味で好対照だが、卒業生の活躍を含め、校風を競い合うことは良いことだと思う。
対照的なスクールカラーが結果として良い効果をもたらすのは、日本だけのことではない。
英国の2つの名門、ケンブリッジ大学とオックスフォード大学は、前者が自然科学中心なのに対して後者はいわゆる文系の学問に強いという特徴がある。ケンブリッジは多くの科学者を輩出し、オックスフォードからは首相を含むたくさんの政治家が出ている。そして、両校は潜在的なライバル関係にある。
私自身はケンブリッジに留学していたが、あるとき、イギリス人から面白い話を聞いた。オックスフォードの学生たちは、ケンブリッジのことを揶揄して、「低湿地にある工科大学」と呼ぶことがあるというのである。
これには、なるほどと思った。オックスフォードが丘陵地にあるのに対して、ケンブリッジは川が流れる低地にある。「工科大学」であるのは立派なことだけれども、政治や文学に長けた人たちからはオタクの巣窟のようにも見えるのだろう。
ライバル関係は、競い合いによってどちらの学校の長所も伸ばす。米国はボストンにある2つの名門大学、ハーバードとMITの間にも対抗意識があるという。MITの学生が、ハーバードは紅茶を飲みながら机上の空論を交わしている暇な学生の集まりと見るのに対して、ハーバードはMITを、真夜中に分厚い眼鏡をかけたオタク学生が徘徊している大学として揶揄するという話を聞いたことがある。
校風を競い合うのは素晴らしい。なぜなら多様性の観点からは、どの校風も「正解」だからである。「偏差値」のような単一の基準で評価するモノカルチャーよりはよほど豊かな世界がそこには広がっている。