歴史に新しい意義が盛り込まれた作品

次の選定基準は、歴史を見ていくうえで新しい意義が盛り込まれたもの。

これも19年の刊行ですが、今村翔吾の『八本目の槍』は、週刊朝日の「2019年 歴史・時代小説ベスト10」で1位になっています。石田三成といえば、非常に鋭利な分析力を持った官吏のイメージが強く、武闘派である加藤清正や福島正則と対立していたと考えられがちですが、これを読むとそうした先入観が吹っ飛んでしまう。

八本目の槍というのは、豊臣秀吉と柴田勝家が戦って勝家が大敗を喫した賤ヶ岳の戦いで功名を挙げた豊臣方の7人衆「七本槍」をもじったものですが、作者は最新の史料まで非常によく読み込んでおり、七本というのは一種の語呂合わせであって、ほかにも秀吉から非常に高く評価された武将はいて、石田三成もその1人だったと。最後、福島正則が裸城になってしまった大坂城で淀君に言うセリフっていうのがちょっと堪えられなくて、もう号泣ものなんです。史料がどんどん出てくると歴史の書き方も変わってくるという好例ですね。

永井路子の『岩倉具視』では、天皇に対する一種の解釈を試みています。岩倉具視が主人公ですから幕末の小説なんですが、幕末という言葉を作中で1度も使っていないんです。それは幕末が終わりではなく、始まりだから。何の始まりかっていうと、象徴天皇の始まりだと。明治天皇がサーベルを構えて立った写真がありますけども、あれで軍神というイメージがつくられ、以降、日本が軍国国家になっていくときに象徴天皇になったわけで、第二次世界大戦後に象徴天皇になったわけではないという思いが込められた作品です。

そして司馬遼太郎の『翔ぶが如く』。正直なことを言いますとね、司馬作品の中でこれは苦手なの(笑)。まったく面白くない。小説としての芯がないんですよ。話があっちに飛んだりこっちに飛んだりするわ、エッセイのようなものも入ってくるわ、例の「余談だが」っていう語り口も入ってくるわで、なんで小説の作法を放棄してこんなものを書いたんだろうと散々考えたんです。それが最近やっとわかったんですけれども、これは司馬遼太郎流の史伝なんじゃないか。

史伝というと普通、司馬遷のものなど編年体で時系列に書かれていますけれども、そういうくびきを取ったとすると、話をあっちに行ったりこっちに行ったりさせて思うがままに書ける。一番歴史を書きやすい方法を、司馬はこの作品で見つけちゃったんだと思う。司馬遼太郎の読者は、この作品が好きかどうかで二派に分かれますよね。その前の『坂の上の雲』まで読み通してきたのに、『翔ぶが如く』で挫折する司馬ファンがすごく多いんです。