作者の解釈を読み手がどう受け取るか

細谷正充「歴史小説を読むとはどういう行為なのかというと、まず基本的には、史実を知ることができます。

しかし単に歴史を知るだけであれば、小説などではなく史書を読んでいればいいわけですよ。ではなぜ物語でそれを知りたいのかといえば、作者が歴史をどう解釈しているかという関心であり、さらに作者の解釈を通じて、私たち読み手が歴史をどう受け取るかの楽しみがあるからだと思うんです。

例えば歴史小説の定番とされる吉川英治の『宮本武蔵』、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』、どちらかというと時代小説ですけど池波正太郎の『鬼平犯科帳』、これらの主人公は全員実在したわけですが、かなり創作が入っている。でも日本人って生真面目だから、人物像をある時期まですっかり事実だと信じ込んでいたんです。物語はそれだけすごい力があるという意味でリストに入れました。ただ、作品的な価値が非常に高く、読んで面白いからといって、何も疑わずに本当の歴史だと受け入れてしまうのは少々危険でもあります。

実際の歴史関係では、新しい資料がどんどん見つかり、歴史研究がすごい勢いで進んでいます。それに呼応する形で、もっと新しい資料を活用した歴史小説を書こうという動きが出てきています。今回は、そうした流れの中にある作品を中心に選んでみました。

斎藤道三といえば、一代で油売りから成り上がったと言われてきましたね。でも様々な研究によって、親子二代で天下を取ったのではないか、その可能性のほうが高いということになってきたんです。その説を踏まえた宮本昌孝の『ふたり道三』は、親子二代の国盗り物語として新しい道三像を立ち上げたところが素晴らしい。

永井路子の『姫の戦国』の主人公は、戦国時代の公家の娘。戦国武将の娘や公家の娘は政略の道具として嫁入りさせられたと考えられてきたんですが、実はちゃんと自身の意志を持ち、一種の外交官としての役割を果たしていたんじゃないかという視点で組み立てられています。

津本陽の『下天は夢か』では、織田信長が三河弁でみゃーみゃー喋る(笑)。ホントかウソかわからないけれども、とにかく新しかった。今に続く織田信長ブームをつくってしまいました。史実は常にひとつで変わらないけれど、時代とともにアップデートされている。それが歴史小説の力であり、役割だと思っています。