今まで注目されなかった人物や史実に光を当てる

近年の歴史小説のもうひとつの傾向として、今まであまり注目されてこなかった人物や史実に光を当てるというものがあります。例えば高橋克彦の『火怨かえん』は、坂上田村麻呂と東北地方の阿弖流為あてるいの戦い。田村麻呂は有名ですが、じゃあ誰と戦ったのかと聞かれて答えられる人はそういなかったのが、この作品によって阿弖流為という相手が知られるようになりました。

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澤田瞳子の『火定かじょう』は、奈良時代の都で起きた天然痘のパンデミックの話。これも史実ですが、患者たちを収容する施設で頑張っている主人公が絶望的な気持ちとなり、自分たちの無力を嘆きます。作者はあえて書いていないけれど、実は天然痘は人類が一番最初に撲滅した感染症で、それを知識として持っていれば、より深く感動的に読めるんです。私たち読者は物語を一方的に受け止めるだけではなく、こちらからフィードバックすることも可能なんだと思わせてくれる作品です。

一方、綱淵謙錠の『』は戊辰戦争を描いた作品ですが、フランス軍人のブリュネが重要人物として登場します。当時、幕府の西洋式陸軍の訓練をフランス軍事顧問団が教えていた。その後、ブリュネはなぜか戊辰戦争の最後のあたりまで付き合っちゃった。史実に忠実に書いているんですが、史実そのものがドラマチックだから、読んでいるだけで面白い。

また、最新の直木賞受賞作である川越宗一の『熱源』は、樺太に生まれた実在のアイヌ人と、ロシア皇帝暗殺計画に巻き込まれて樺太に流刑になった実在のポーランド人の交流が軸になっています。アイヌが日本から受けた一種の文化侵略を語るのに、同じような境遇のポーランド人の視点も入るところが新しいんです。歴史小説は、アジアの中の日本とか、世界の中の日本といった視点も取り入れるようになってきました。グローバル化の中で、そういう姿勢が求められているのではないでしょうか。

梶よう子の『ヨイ豊』と谷津矢車の『おもちゃ絵芳藤』も触れないわけにはいきません。いずれも絵師ものですが、このところ絵師だとか芸人だとか、武将などではない“文化系”の人たちを主人公にした歴史小説がすごく増えている。実は漫画では前から軽音楽部とか俳句甲子園とか書道とか、文科系のクラブを題材にしたものが増えています。