不安な心に、デマはスッと入り込んでくる

非常時において、私たちはたやすく不安になってしまう。

私たち人間は不安を抱えたまま生活することを嫌う。不安を抱えたまま生活することは、人間にとって多大なストレスになる。生存が脅かされている状況下から速やかに脱するために、不安という信号に敏感になるように認知機能を進化させたからだ。

不安の渦中に放り込まれると、すこしでも早く安心を得て、自分の生活に落ち着きを取り戻したいと行動を開始する。そのときに人は「(自分の不安を鎮めることのできる)納得できる物語」を求める。重要なのは「正確な情報を得て冷静な判断力を取り戻したい」のではなく「まず安心したい」ということだ。自分の頭の中を支配する「言い知れぬ不安」を鎮めてくれるような物語でさえあればなんでもよいのだ。その物語がたとえ不正確な情報、あるいは根も葉もないデマであったとしても。

今回のような非常事態によって、社会が大きな不安に呑み込まれるとき、デマは人の心の隙にスッと入り込んでくる。社会的動揺によって生じる「安心したい」という人びとの強い欲求は、平常時なら正常に機能していたはずの「リテラシー」という名のファイアウォールを緩めてしまうからだ。

SNS時代には「デマ撲滅のコスト」が肥大化する

デマが拡大し、それが実社会に害をもたらすことを食い止めることは、デマを打ち消すための「正確な情報」を広め、多くの人がデマではなく「正確な情報」を選択的に取得することによって達成される。

だが、それはSNS時代には、ほとんど達成不可能になってしまうだろう。インターネットによって多くの人が正確な情報にアクセスしやすくなったことは、デマ情報にもアクセスしやすくなったことを同時に意味するからだ。

「正確な情報」を発信するためには、専門的な知見と客観的証拠を集め、莫大な費用と手間をかける必要がある。一方で、デマはそのような「正確性を高めるためのブラッシュアップ」の工程をまったく必要としない。スマートフォンやPC画面上のリツイートボタンを押すだけでいい。拡散速度には圧倒的な差がある。ひとつのデマを打ち消すための「正確な情報」を世に送り出すための時間と労力が費やされている間に、デマは瞬く間に拡大して不可逆なうねりを作り出してしまうし、新しいデマも作り出されていく。