グレタさんはマッチョな資本主義のシステムを否定した
グレタさんの場合、顔を大きくしかめた迫力ある怒りの表情が、見た人の脳幹を秒速で刺激した。もし、これが、青年であったならば、ここまでの反発は起きなかっただろう。
「そもそも、気候温暖化を否定する考え方は、近代の工業資本主義を推し進めた男性優位的なアイデンティティと深く絡んでいる」と米国のオンライン経済メディアQuartzは指摘している。
自然を征服し、大量生産・消費によって、生活を向上させるという近現代の工業化システム。グレタさんは、そうしたマッチョな資本主義のシステムを否定したわけだが、同時に、「(その主な担い手たる)男性の信念、価値観を攻撃し、その『自尊心』を傷つけた」(Quartz)のである。その結果として、「自己防衛反応としての反射的怒り」を買ったというわけだ。
われわれ人類はある意味、全員が環境破壊、気候変動の共犯者たちだ。
それに気づきつつも、生活や生計や生存を優先させ、不都合な真実に目をつむってやり過ごしてきた。気候温暖化を認めることは、自分たちの非を認めることになる。だから否定し続ける人もいるだろうし、「わかっていても、この便利な生活や経済発展を捨てたくはない」という考え方もあるだろう。言い訳をして、問題から目をそらしてはいけない、というグレタさんの主張は正論である。
グレタさんの発言はリベラルと保守の溝をさらに深くした
しかし、残念ながら、「自分は正しく、あなたは間違っている」と、自らの主張の正当性を示し、相手の間違いを指摘し、批判する手法は、科学的エビデンスをもってしても、決して、説得に効果を持たない。
人は自らが信じる考えを簡単には曲げない「認知バイアス」という脳の癖がある。
「気候温暖化は存在しない」と信じる人に、どのようなエビデンスを示そうが、その考えを変えることは難しい。世界にはいまだに地球は平面であると信じている人がたくさんいて、画像を見せようが、科学的に説明しようが、その信念は変わらないのである。
お互いの正当性を真っ向から主張しあい、侮りあう論争ほど、不毛なものはない。結局のところ、何らかの形で折り合っていくしか、解決策は見いだせないからだ。
グレタさんのこの論法は、ファクトや科学から目を背ける強硬な気候温暖化否定派だけではなく、気候温暖化に一定の危機感を持つ穏健派の保守層をも敵に回してしまったところがある。
トランプ大統領の登場以降、党派を超えて結束すべき地球規模の課題である気候温暖化問題は、リベラルと保守の政争の具と化した。グレタさんの発言は、さらにその溝(デバイド)を広げてしまった恐れがある。