またしても、一般ユーザーにはピンとこない

一方、せっかく百瀬晋六たちが設計したスバル1000、スバル1300は販売面でははかばかしい結果を残すことができなかったので、1971年には新車レオーネが発売される。

そこで四輪駆動の改造を担当した技術開発陣はスバル1300Gからレオーネをプラットフォームにしたものに変え、72年には「スバルレオーネ4WDエステートバン」を完成、市販することにした。

しかし、この車も販売面ではパッとしなかった。今では「乗用の4WD」車はある。しかし、当時はまだ乗用の4WD車がスバルレオーネしか存在しなかった。

一般ユーザーは「どうして、四輪駆動車が必要なのか」「ジープとはどこが違うのか」「得をする点はどこにあるのか」がつかめなかったのだろう。最初のうちはマーケットでは苦戦したのである。

評論家や「スバリスト」からは熱烈に支持されたが…

四輪駆動車の開発にあたった影山はやしは当時、次のような感想を抱いた。

「ユーザーは4WDだからジープのように坂を上ったり、水の中に乗り入れようとする。エンジンが壊れてしまうから、それはやめてくださいと言っても、簡単に納得してもらえないわけです。ただし、一方で4WDのよさを宣伝するためには派手なことをしないとアピールできない。ひと目で理解してもらうには階段を上ったり、水に入ったり、ジャンプしたり。営業としてはそんな派手な宣伝をするしかなかったんです」

そうして、スバルレオーネの四輪駆動車もまたスバル360、スバル1000と同じように、モータージャーナリスト、自動車評論家、他社の技術者からの評判は最高だった。

「この技術はスバルでなくてはできない」

そういう声も聞こえてきたのだが、しかし、いかんせん売れなかった。買ってくれたのは北海道、東北の雪道を使う業務の人々、もしくはスバル360、スバル1000で同社のファンになった「スバリスト」と呼ばれるマニアのなかでも、特に熱狂的な人々しかいなかった。

風向きを変えたのはアウディだった

レオーネ4WDは取り立てて大きな宣伝をしなかったこともあって、70年代は日本のマーケットでも、ごく一部の人たちの支持を得たのにとどまった。

世の中の風向きが変わったのは1980年のことだった。

ジュネーヴのモーターショーで、アウディが「クアトロ」と名づけたスタイリッシュなフルタイム四輪駆動の車を発表したのである。クアトロが出る以前のアウディに乗る人々は、ジープを買う層とはまったく異なる人たちだった。

おしゃれな富裕層というのがアウディの愛好家だったのである。アウディはそういった顧客層に向けて、「うちが出した乗用の4WDはジープとはまったく違う車だ」とアピールした。

「悪路を走破するのが目的ではない。都会の道をハイパワーで走るスポーツカーだ」

ハイパワーを確実に路面に伝えるために開発した技術が四輪駆動なのだ、と訴えたのである。つまり、都市の道路でスピード感を楽しむ、しかも乗り心地のいい車として4WDを定義したのである。