そんなある日、百瀬が小口に一冊の洋書を渡した。東京の洋書店まで行って見つけた専門書で、そこには問題解決の糸口が書いてあった。

かつて百瀬たちが戦闘機の技術向上に挑んだ時も洋書を取り寄せるか、もしくは大学の専門家に会いに行くことしかなかった。戦闘機のような国家秘密の塊は他国の現物や部品を取り寄せることができない。

「スバルクッション」と呼ばれた独自製法とは

航空機で新技術を開発しようと思ったら、糸川がやったようにパイロットに聞く、あるいは鳥の動きを観察したり、さまざまな本を読んで考えることしかなかった。

スバル360のような日本には前例のない革新的な軽自動車を開発する時も百瀬は同じ手法を取ったのである。

バネの専門書にはふたつのことが書いてあった。金属の「へたり」を防ぐためには、あらかじめ、ねじっておく「プリセット法」がある。先に棒をねじっておけば、その後に突発的な激しいねじれがあっても、金属には抵抗力が付いている。もうひとつ、金属の「折れ」に対してはアメリカでは「ショットピーニング法」で加工していた。

ショットピーニングとは金属の表面に無数の鉄の球を高速で衝突させ、金属材料の強さを増す技術だ。鉄の丸い球をショットと呼ぶことからショットピーニングという名称になった。ショットによって表面に無数の丸いくぼみができるが、硬度は上がり、繰り返し荷重に対する強さも増す。

小口はプリセット法、ショットピーニング法などで棒バネの大きさや形を変えないまま強度を高める方法を採用した。

こうしてあらかじめ、ねじった棒バネ、つまりねじり棒バネは機能し、サスペンションは強化された。このおかげで、スバル360の乗り心地はよくなり、「スバルクッション」と呼ばれるまでになったのである。

傾斜角度13度の急坂を大人4人乗りで挑戦

スバル360の試作車は4台作られ、過酷な試験走行を繰り返した。試験ルートとして群馬県の伊勢崎から高崎までの未舗装道路を往復した。16時間で600キロを走る長距離連続走行テストから始まった。

試作車のエンジンは酷使の結果、故障したため、エンジンを開発した三鷹工場から伊勢崎に来ていた技術者が徹夜で修理し、翌朝には再び、走ったこともあった。

百瀬チームが試験走行の総仕上げに選んだのは、赤城山の登坂路を上ることだった。赤城山にはふもとから新坂平しんざかだいらまでの14キロ地点に「一杯清水いっぱいしみず」と呼ばれる急坂路がある。