「お金儲け」という考えがまったくない経営者

「小嶋さん、お金がたまる方法はありますか?」と聞いたら、その答えは「使わんことやな」というほど、お金儲けという考えがそもそもない。

経営者向けの講演会の冒頭では、「ここにお集まりの皆さん、私の話を聞いてお金儲けをしたいと思われる方には全く参考になりません。私の話はお金儲けの話ではありません」と、枕言葉のように言い、それどころか小嶋は常々「経営者は自分のお金のことがアタマにいったら失格や」とさえ言っていた。

つまり、それが投資家・金儲け屋と経営者との違いにほかならないからである。

呉服屋であった岡田屋では、小嶋の祖父の時代である明治20年、商家で一般的であった大福帳方式に代えて“見競べ勘定”という、和式の複式簿記をつけていたという。

明治25年には店規則、いまで言うところの就業規則もつくられた。

なかには、「従業員男女は同床するべからず、万一見つけし場合は解雇すべし。ただし、情状によりてはこれを許すこともあるばし」とか「毎朝起こし係を一人設置すべし。三度呼びて起きざる場合は夜具を片付けるべし」などと、人情味のある記述もあったが、しっかりとした主人と従業員の決まりごとがあった。

大正時代に「インセンティブ制度」まで導入

明治30年には、当時は商店では相手を見て値段を高くしたり安くしたりするのが常識だった中、正札販売を開始。同じ商品にもかかわらず、相手によって値段が違うという不公平さは長い目で見れば店の信用に関わるということで、正札販売に踏み切ったという。

小嶋の父はさらに近代化を進め、見競べ勘定帳を洋式に改革し、貸借対照表を備えた本格的な会計制度にした。決算や棚卸し、利益配分の方法など、すべてこの会計制度にのっとって実施した。大正15年には株式会社にし、従業員役員もおり、昇給制度、持ち株制度もできていたというから驚きである。

さらに、当時としては珍しく成文化した就業規則、給与規定までつくっている。現代風にいえば、歩合給制度や利益配分制度に近い、インセンティブ(奨励金)制度まで導入している。

このようなことは三井高利など伊勢商人が古くから培ってきた伝統や流儀であり、伊勢商人の流れである岡田屋もそれを受け継ぎ、規則や制度を当然のこととして受け入れてきた。

その結果、岡田屋はかなり進歩的な会社ではあった。